狩人話譚

□ 銀白色の奇士[2] □

第17話 慟哭 前編

 気が付くと、質素な造りの建物が立ち並ぶ村の中心に立っていた。村の外は森で囲まれており、一面を雪が覆っている。リククワに似たここは、よく見知った場所だった。

(また、この夢か)

 立っていた青年、ワカは静かに息を吐く。夢故に気温は存在せず、吐く息が白くなることも無い。絶えず雪が降るこの村は、雪山の奥地に息を潜めるように存在していた。そう、存在して『いた』のだ。
 何度この夢を見たことだろう。目を閉じて一度視界を闇に溶かした後に瞼を上げれば、世界は変貌を遂げる。あったはずの建物は崩れ落ち、赤黒く焦げた跡が建物や木々に焼き付けられていた。あちこちで倒れている人の姿も見える。

(…………。)

 白と赤が散らばる凄惨な光景を、ワカは冷静に見つめていた。これは実際に起きた、自身の目で見たものなのだから。だが、この夢に『あの日』以降ある変化が起きている。

(どうして、そこにいるんだ? ディーン)

 何故か血塗られた村にディーンが現れるようになった。最期に着ていたルメッサシリーズを身につけたディーンに何度声をかけても、ただこちらを見ているだけで返事は無い。
 モンスターの鳴き声が遠くで響いている。そろそろ目覚めの時を迎えそうだ。このままではあのモンスターの爪がディーンに直撃する。夢だとわかっていても、動かずにはいられなかった。

(ディーン!)

 自分がされたように、ディーンを突き飛ばす。直後、真上から強い衝撃を受けその場に押し潰された。うつ伏せに倒れた視界にジンオウガ亜種の前脚が映る。巨体の気配が退くと、尻餅をついた姿勢のディーンが心配そうに自分の顔を覗き込んでいた。
 息が苦しい。特に胸の辺りが酷く痛む。だが、これでいいのだと不安定な呼吸を繰り返し、ディーンに伝える。

(ごめん、ディーン。こうなるのが正しかったんだ。これが本当の俺の運命。助けられなくて、ごめん。ディーン、ごめん……。)

 視界が白に染められていく。空から降る雪が自分の存在を埋め尽くそうとしているかのように。全てが雪に覆われていく中で、ディーンが悲しそうな顔で首を横に振った気がした。



「――!」

 目を開け、しばらく吸うことを忘れていた空気を肺に取り込む。思わず手を胸にあてるが、傷など無い。当然だ、あの出来事は全て夢だったのだから。だが心臓の鼓動はドクドクと強く脈打ち、呼吸をするのもやっとだ。
 隣で眠るモーナコをちらと見る。すやすやと寝息をたてており、起こしていないことに安堵してゆっくりとモーナコに背を向けて横になる。

「…………。」

 また今夜も寝たふりをしているのだろう。隣で呼吸を乱して全身を震わせる主の異変に気が付かないわけが無く、モーナコもまた目を開ける。

(あの日から、ずっとこの調子ですニャ。このままじゃ、ワカ旦那さんの心と体がもちませんニャ)

 モーナコもまた、寝返りをうつふりをして向けられた背にくっつく。ワカの体は小刻みに震えていた。



 日が昇り、朝を迎えた。ディーンを失い悲しみに包まれる中リククワにギルドから下された指令が二つ。
 一つはクシャルダオラとジンオウガ亜種についての報告書をギルドに提出すること。もう一つは、ギルドから許可が降りるまで氷海並びに凍土の調査を禁じるというものだった。
 そのため忙しいのは拠点で報告書を作成する書士隊だけで、調査に出る書士隊を護衛することが役目であるリュカとナレイアーナは鍛冶の手伝いや薪割り、部屋の掃除とまるで狩人を引退したかのような日々を過ごしていた。

 持ち物の整理をするため、リュカは道具を収納している大きな箱から中身を全て取り出す。その途中で見つけた閃光玉を思わず手にとった。
 ほとんどの道具はワカが調合しているが、やや形が不格好なこの閃光玉は自分が調合したものだ。ディーンにアドバイスを受けながら調合したことを思い出す。

「この閃光玉、もう投げらんねぇな」
「旦那さん……。」

 整理を手伝っていたシフレが呟く。寂しそうに笑うリュカが辛そうに見えて、あぐらをかいているリュカに寄り添った。

「いつまでもへこんでいられねぇよ。思い出の品って意味だ」

 頭を撫でてやるとシフレが悲しそうにニャウ、と鳴く。その時、ドアをノックする音が聞こえた。扉の低いところで鳴ったので、恐らくオトモアイルーの誰かだ。

「モーナコですニャ。入っていいですかニャ?」
「ちょっと待ってろ、物をどかすから」

 モーナコを部屋に招き入れ、久しぶりに会話をかわす。ジンオウガ亜種討伐後は護衛ハンターと書士隊で完全に分かれた生活を送っていたため、同じ拠点で過ごしているにも関わらずモーナコと会うのは五日ぶりとなる。

「リュカさん、ボクはリュカさんに謝りに来ましたニャ」
「謝る? お前が、オレに?」
「そうですニャ。ボク、あの時……リュカさんに噛みついてしまいましたニャ。そのことを謝ろうと思って」

 ジンオウガ亜種を討伐し、朝日を浴びながらリュカはやり場の無い怒りと悲しみをワカにぶつけた。そうではないとわかっていても、あまりにも平然としている態度が信じられなくてワカにディーンを守れなかったことを責めた直後、モーナコに左太股を噛まれたのだった。

「あんなの、なんともねぇから気にすんなよ。オレの方があいつに酷いことを言っちまったって思ってる」
「ニャゥ……。」
「お前があそこまでキレたのには理由があるんだろ? あいつは自分のことを何も喋っちゃくんねぇ。なあ、教えてくれよ。ワカの奴、一体どうしちまったんだ」

 モーナコの視線が戸惑うようにあちこちを彷徨う。深夜のワカの異変を思い出しているようにも、言おうかどうか悩んでいるようにも見えた。
 少しの時間をおいて、モーナコは覚悟を決めて口を開く。全てを打ち明けることはできないが、それでもワカが背負っているものを少しでも知ってほしいと思って。

「ワカ旦那さんは……家族と故郷をジンオウガ亜種に奪われたんですニャ」



 モリザは温かい食事を乗せたトレーを手に、ある部屋の前に立った。ノックをするが返事は無い。だが中にいることはわかっているので、『入るよ』と一言付け加えて扉を開けた。
 多くの本が敷き詰められている棚、大きめの机、二つあるベッド。ここはディーンとユゥラの部屋だ。ジンオウガ亜種を討伐した直後からユゥラは無気力になってしまい、書士隊の職務をこなせないほど憔悴しきっていた。

「勝手に入ってすまないね。アンタ、ぜんぜん食事をとっていないじゃないか。いくら少しは食べてるとはいえ、あの量じゃ元気なんて出てこないよ」
「……ごめんなさい、モリザ。どうしても食べる気になれなくて」

 普段は絹のような淡い金色の髪を左肩に流して結っているが、寝込んでいるため両肩を覆うように散らばっている。目元が痛々しいほど赤いのは日々泣きはらしている証拠だ。トレーを机の上に置き、モリザはベッドから体を起こしたユゥラの傍に近づくと身を屈めた。

「ずっと泣いてばかりじゃ、ディーンが心配するよ」
「…………。」
「でも、しょうがないよね。アタシもあの人が二度と戻ってこないと諦めた時は、しばらく悲しんだものさ」

 ユゥラがはっとしてモリザを見る。モリザもまた、夫を失った女性だった。ハンターだったモリザの夫は雪山で雪崩に巻き込まれ、行方不明になった。手がかりは何一つ得られず、モリザは夫は雪山で死んだのだと捜索を諦めている。

「あの時は夜通し泣いていたねぇ。どうしてアタシを遺して死んじまったんだ、って。不運な出来事だったとわかっていても、どうしてどうしてと山の神様を恨んだものさ。でも、アタシにはルシカがいた。アタシがこの子を守らなくちゃって、立ち上がったんだよ」
「…………。」
「アンタには子どもはいないけど、我が子のように大切にしていた子がいただろう? ディーンは命を懸けてあの子を助けたじゃないか。あの子は今、動けないアンタの代わりに頑張っている。……アタシの言いたいこと、わかるかい?」
「……ええ」

 ユゥラが頷く。娘のように可愛がっていた、雪のような真っ白の髪を風に舞わせて微笑むイリスを思い浮かべる。奇跡の薬草のおかげで衰弱した体はだいぶ良くなったと聞いた。だが、病み上がりの体で職務を続けるのは辛いだろう。だから、立ち上がらなくては。

「今は泣いてもいいよ。だけど、いつかは戻っておいで。ゆっくり待ってるからね」
「モリザ……!」

 モリザの優しい言葉にユゥラの目からぶわりと涙があふれた。同じ悲しみを知るモリザだからこそ、ユゥラの深く傷ついた心を慰めることができたのだろう。モリザは泣き続けるユゥラを抱きしめた。頭の中で、もう一つの難題を考えながら。

(ユゥラはもう少しで回復するだろうね。問題は……あの子だ。見た目からしてかなり参ってる。あの子はどうやったら立ち直れるかねぇ)



 机の上には大量の書類。作業をしているのはイリスとワカだ。氷海の秘境の異変やクシャルダオラのこと、凍土でのジンオウガ亜種討伐の報告などまとめなければならないことが山積みだ。
 凍土調査隊から凍土についての資料を譲り受けていることもまた、机上の圧迫感を後押ししている。書類を届けてくれた男は、凍土の秘境でワカを救出したライトボウガンのハンター、クインの夫だった。
 凍土調査隊に配属された夫の後を追いバルバレギルドからロックラックギルドへ移籍した彼女は凍土で緊急事態が起きていることを知り、夫の妹で同じくハンターのエプサと凍土に駆けつけたという。

 秘境にモンスターが隠れ潜んでいた件の報告書がまとめ終わり、イリスはふうと一息ついた。そして真向かいで黙々と参考資料に目を通しているワカに視線を送る。
 ジンオウガ亜種を討伐してからワカの様子が明らかにおかしい。もともと物静かな男だが、輪をかけて静かになっている。あまり喋らないし、笑わない。金色の瞳がどこか濁っているように見えた。
 何より目の下に隈が色濃く刻まれており、何日も眠っていないのではと顔を見る者全員が不安に思った。だがワカは淡々と書類をまとめており、しかも誤字脱字の無い仕事っぷりを見せている。それがまた不気味だった。

「……ワカさん」
「なんだ、イリスちゃん」

 声をかけると顔を上げてこちらを見る。答えて少し首をかしげる仕草はいつも通りだが、どこか虚ろだ。リククワに戻ってから、ジンオウガ亜種討伐の全てをリッシュに聞いた。兄がワカに対し激昂したことも、ワカが一度も涙を見せていないことも。

「少し、外に出ませんか。息抜きをしたいんです」
「……そうだな。行こうか」

 立ち上がり、毛皮のマントを羽織る。拠点は氷の壁に囲まれているが、一歩出れば辺りは森だ。イリスはあまり森に出ることが無い。リュカがイリスを心配して安全な拠点にいるよう言いつけているのだが、時折ディーンとユゥラに連れられ森を散歩したことがあった。その中で見つけたある場所に、イリスはワカを連れて行った。

「ここは?」
「ユゥラさんが教えてくれたんです」

 こじんまりとした円状の空間は木々に囲まれていて、真ん中にぽつりと大きめの切り株があった。そこに夫婦で腰掛け、妻が歌い、夫が聴く。二人だけの秘密の場所だったが、夫婦はイリスにだけ特別に教えたという。
 イリスは二人の力を借りたかった。ワカを座らせ、自分も反対側に腰掛ける。だが、切り株に折り曲げた足を乗せて体を向け直し、ワカの背にそっと手を当てた。

「ここなら大声だって村に届きません。私は何も言いませんし、何も聞きません。だから、泣いてください」
「……イリスちゃん、俺は泣くつもりなんて」
「お願いです。泣いて、ください……! このままでは、ワカさんが潰れてしまいます……!」

 イリスが声を詰まらせる。ディーンを失った悲しみは深いが、それと同じくらいワカの痛々しい姿が見ていられなかった。相棒の前ですら弱い姿を見せようとしない男の心の内を吐かせたかったのだ。

「…………。」

 その思いが通じたのか、背を向けたままワカが静かに語りだした。独り言のように、懺悔のように。

「俺の故郷は、ジンオウガ亜種に滅ぼされたんだ」
「…………!」
「俺がまだ小さい頃だった。奴が突然村に現れて、俺は両親にかまどの中で隠れていろと言われた。しばらくして外に出たら、村はめちゃくちゃだった。そして……みんな、ジンオウガ亜種に殺されていた」

 頭を深く下げ、背が丸くなる。昨夜夢で見た光景が蘇り、ワカは指を組んで額に当てた。わなわなと指先が震える。感情の波が少しずつ荒さを増していった。

「あの時俺は子どもだったから、何もできなかった。だけど今は違う。ハンターになってモンスターを狩る力を、人を守る力を身につけた。なのに、俺はディーンを助けることができなかった。それどころかディーンに助けられてしまった」

 ぐ、と心の底から様々な思いがこみ上げてきた。今まで喉元で押しとどめていた感情が、あふれてくる。そして、顔を歪めて叫んだ。

「どうして俺は、大事な時に何もできないんだ! 何が護衛ハンターだ、何が“人のために尽くす刃”だ! 俺はいつも誰かに守られて生きてきた、だけど俺は……誰も守れない! こんなにも無力だ!」
「…………。」
「ごめん、ディーン! 俺が、俺が殺したも同然だ……っ! 許して、ディーン、ごめん、ユゥラさん……うっ、く、あ、ああぁ……っ」

 嗚咽が漏れ、伏せられた瞳から涙がぽたぽたと落ちては雪にしみこんでいく。記憶に残っているワカの父親は、ディーンと同じくらいの年齢だった。そして、同じ壮絶な最期を遂げた。二度もジンオウガ亜種に大切な人を奪われた悲しみと、守れなかった自分への憤りがワカの心を蝕んでいく。

(なんて、苦しそうに泣くのだろう)

 ああ、ああ、と呼吸の合間に繰り返される辛そうな泣き声。ディーンや遺されたユゥラに何度も謝る嘆きが背中越しに伝わり、イリスの目からも涙がこぼれる。慟哭は、木々と風と雪の中へかき消えた。
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