狩人話譚

□ 銀白色の奇士[2] □

第16話 闇夜の赤黒雷 前編

「あああああああっ!!」

 喉が潰れんばかりの雄叫びをあげ、ワカは奇襲を仕掛けてきたモンスター、【獄狼竜ジンオウガ亜種】に向かっていく。
 自己強化をかけていない狩猟笛は、ただの鈍重で破壊力に欠けた槌だ。怒りと悲しみに囚われても頭の隅はどこか冷めていて、駆けながら散乱したポーチに入っていた睡眠投げナイフを拾い両手に一本ずつ握りしめる。自己防衛のために所持した方がいいと教えてくれたのは、ディーンだった。
 『食事』に夢中になっているジンオウガ亜種の後ろ足の甲殻に二本のナイフを突き刺す。すると突然体が大きく揺らいたので、急いで下敷きになっているディーンを引きずり出した。巨体が沈み寝息をたてる傍で、手遅れだとわかっていても声をかけずにはいられなかった。

「ディーン、ディーン……!」

 くたりと力の抜けた四肢からの反応は無く、あちこちから血を流して静かに佇んでいる。特に背からは爪で、前からは牙で貫かれた胸部は無惨な状態だ。最後の確認をするために震える手で右の手首に触れる。

 生命の鼓動は、伝わらなかった。

 ディーンは自分を庇って死んだ。その事実が徐々にワカの心を蝕んでいく。脱力してその場に座り込み、息をしていないディーンを呆然と見つめていた。何も見えない、聞こえない、時を止められたような気さえした。
 だが、視界に虹色の光が映ると止まっていた時が動き出す。ゆっくりと手を伸ばして奇跡の薬草を拾い、ポーチにしまう。秘境の奥地に来た理由を思い出して、深呼吸をする。ここで立ち止まるわけにはいかない。
 ジンオウガ亜種はまだ目覚めないようだが、逃げたところでじきに追いつかれるだろう。できるだけ時間を稼ぐために、シビレ罠をジンオウガ亜種が目覚めたら踏む位置に仕掛けた。
 更にけむり玉を見つけたので念を入れて地面に叩きつける。視界を悪くしても臭いで嗅ぎつけられる可能性は高いが一縷の望みを賭けて使ってみたところ、煙と共に癖のある匂いが漂い始める。
 ただのけむり玉ではない。にが虫を加えて調合した特殊なけむり玉だ。消臭玉ほどの効き目は無いが、多少の臭いを和らげる効果がある。これを調合できるハンターを、ワカは一人だけ知っていた。

「……リウ、兄?」

 遠方で暮らしている兄がつくったけむり玉をディーンが持っていた理由を考える余裕など無い。ディーンの腕を肩に回して立ち上がる。二人でベースキャンプに戻るために。



 奥地に向かう途中木々に印を付けていたおかげで、暗くなろうとも視界が多少悪くなろうとも、派手なピンクの切り傷は道しるべになってくれた。
 魂を失った亡骸は、とても重く感じられた。白いフルフル装備がディーンの血を吸い込んでも、ワカは構わずディーンと共に森の中を歩いて行く。
 付け始めの濃いピンクの傷を見つけ、ベースキャンプがもう少しだと希望がわいた瞬間、背後から赤い雷の球が体を貫く。
 しまったと思ったのも束の間、殴られたように吹き飛ばされて雪の上を転がる。ディーンの腕も離してしまい、顔を上げると追いついたジンオウガ亜種が再びディーンを喰らおうとしていた。
 疲労と絶望感から体を起こすことができない。悔しさばかりが募り、音を立てるほど拳に力を込めた。

(また、俺は何もできないのか……!)

 その時、突然ジンオウガ亜種の体をいくつもの弾が掠めた。ジンオウガ亜種は食事を諦めて飛び退き、低く身構える。ボウガンの弾だと判断すると、ナレイアーナではないかと振り向く。
 だが立っていたのは女性ハンターであってもナレイアーナではなく、また構えているボウガンもライトボウガンだった。
 セルレギオスの素材を用いた【叛逆弩ヴァルレギオン】。金色の鱗が美しく彩られている。身を包む防具は赤褐色の甲殻でつくられた鎧に、砂色の生地をはためかせている【八千代・真】シリーズだ。
 何より、ハンターの顔を見てワカは驚いた。銀色の髪をワカ以上に短く整え、やや濃い色をした肌に爪の形をした白いフェイスペイントが施されているそのハンターに見覚えがあった。あちらも気が付いたのか、深紅の瞳が丸くなる。

「貴方、ワカさん?」
「【クイン】さん、どうしてここに」

 直後にジンオウガ亜種が動き出したため互いに名を呼ぶだけに終わったが、そこへ金色の巨大な槍【ロストバベル】を背負った女性ハンターが颯爽と加わる。こちらは青と金で彩られた異国の防具、【スターナイト】シリーズを着込んでいる。
 黒い長髪をなびかせながらランスを構えて突き出し風を切る。牽制することで前進しようとしたジンオウガ亜種は大きく後退した。唸りながらこちらの様子を伺っている。

「大丈夫……えっ」

 女性ハンター二人がジンオウガ亜種と対峙してる間にナレイアーナが駆けつけた。だが、ワカから少し離れた所で変わり果てた姿のディーンを見つけ絶句する。

「……嘘でしょ、ディーン」
「ジンオウガ亜種にやられた。突然襲われて、ディーンは俺を突き飛ばして……。」
「アンタも血だらけで酷いわよ。あの二人が黒ジンオウちゃんを引きつけてるうちに逃げないと」
「俺は一人で行ける。ナナちゃんはディーンを頼む」

 ゆっくりとワカが立ち上がり、ナレイアーナはディーンを抱き上げる。振り返ると、二人のハンターとジンオウガ亜種が隙を狙おうと睨み合っていた。同じく振り返ったライトボウガンのハンター、クインが左手を広げる。

「ワカさん、すぐに逃げて下さい。ここは私と【エプサ】に」
「義姉様、あちらの殿方とお知り合いなのですか?」
「バルバレにいた頃に。行きましょう、エプサ」
「はい」

 金色の武器を構えジンオウガ亜種と戦う二人にワカは足を止めていたが、ナレイアーナに急かされると彼女を追いベースキャンプへ逃げ延びた。



 ベースキャンプで待っていたユゥラは、ディーンの無惨な姿を見てしばらく動けなかった。しばしの時間を経て横たえられた亡骸にゆっくりと近づいて顔に両手を添え、それから嗚咽の声がもれる。

「ディーン……ああっ、あなた……。」

 額をあてて大粒の涙をこぼし続けるユゥラの姿に、リッシュの目からも涙が溢れた。凍土調査隊の隊長は深く俯いて、故人に黙祷を捧げる。深い悲しみがベースキャンプ全体を覆い尽くした。
 そっとディーンの唇に指をあて、その後ユゥラは自身の唇を重ねる。別れの口付けをする瞬間ワカだけが目を逸らしたのだが、それを見たのはモーナコだけだった。
 ややあって静寂を裂くように、ワカが悲しみに打ちひしがれているユゥラの背に声をかける。

「ユゥラさん、ユクモ村に戻ろう。奇跡の薬草を届けてイリスちゃんたちを助けなくてはならない」
「ワカ!? ユゥラがどんな気持ちか……!」
「酷いことを言っている自覚はある。だけど今は村に戻って治療をすることが先決だ。そのためにディーンはあの体でここまで来てくれたんだ。俺は……ディーンの遺志を尊重したい」
「……そう、ね。ワカの言う通りだわ」

 涙を拭い、大きな布でディーンの亡骸を被せるとユゥラが振り返る。顔からは血の気が失せているが、必死に取り繕うとしているようだ。最愛の夫を失った直後にも関わらず気丈に振る舞おうとする姿に、リッシュも涙を拭った。

「薬草を薬に調合するには二十本以上ないと厳しいわ。集まっているかしら」
「アタシは四本。ユゥラが六本。モーナコが五本で……。」
「俺は四本だ。……足りないな」
「ギリギリ薬がつくれるかどうかというところね、……ディーン?」

 ディーンを見つめていたユゥラが何かに気が付くと身を屈め、布からはみ出している左腕を手にとる。青銅色のクンチュウアームが、奇跡の薬草を一本だけ握っていた。それは本来ならばあり得ないことだったが、ユゥラはそれを何の疑問も持たずに受け入れた。

「そう……どうしても、あの子たちを助けたかったのね。ディーン」

 再び涙をこぼして微笑む。ディーンの左腕は動かないはずだった。だが、強い意志が最期に奇跡を起こした。命を落とす間際も、死後ワカに担がれ龍光弾に飛ばされても、決して手放すまいと奇跡の薬草を握りしめていたのだ。

「これなら足りるわ。行きましょう、ディーンの死を無駄にできないわ」
「待ってください」

 秘境の入口から先ほどジンオウガ亜種と交戦していたクインとエプサが現れた。二人の背後にはクレイドがクリフを抱きかかえて立っており、凍土調査隊の隊長がすぐに兄弟の傍に寄る。二人とも負傷している上に、クリフは目を閉じたまま兄に抱えられていたため、表情が曇る。

「よく戻ってきてくれた、クレイド。……クリフは」
「意識を失っていますが、無事です。申し訳ありません、隊長。我々が奴を仕留め損ねたばかりに……。」

 クレイドの視線が亡骸に被せられた布に注がれる。近くには自身と同じく傷を負ったワカが立っており、ジンオウガ亜種に襲われたのだと瞬時に理解したようだ。
 軽くお辞儀をすると、クインがその後を語る。

「モンスターの正体はジンオウガ亜種でした。討伐を試みましたが、まるで私たちと戦うのが飽きたかのように森の奥に走り去り、見失いました」
「我々はその近くに隠れていました。エプサが我々を見つけてくれたおかげで、ここに戻ることができたのです」
「ジンオウガ亜種……【闇夜の赤黒雷】か。あの個体はやはり異常だ。すぐに討伐しなくてはならないだろう」

 ベースキャンプに戻ってこられた安心感からか、クレイドが膝から崩れ落ちた。傍にいたクインがすぐに体を支え、ユゥラはクリフの様子を窺う。

「ユクモ村で手当てをしましょう。リッシュはギルドに緊急報告を」
「は、はい。では皆さん、飛行船へ」

 リッシュの運転する飛行船に乗り込み、ユクモ村へ向かう。ユクモ村に着く頃には夜が更けていた。



 ユクモ村の医者の手により奇跡の薬草が調合され、薬が完成した。未だ眠り続けているイリスは経過を見なくてはならないが、リュカの傷はだいぶ癒えたので村の階段に座って夜風を浴びていた。しかし知らされた訃報は、心に癒えない大きな傷を刻んだ。

「マジかよ……ディーンが死ぬなんて」
「クレイドたちも背後から奇襲を受けたみたい」
「ちくしょう、オレがいればこんなこと」
「アンタがいたって守れたかはわからないわ。直前まで気配を殺していたらしいもの」
「……くそっ」

 悔しさをにじませながら石の階段を強く叩く。たいまつがじりじりと音を立てている中、背後に気配がしたので振り返るとリッシュが紫色の紙を握りしめて立っていた。

「リッシュ、もしかしてそれは」
「ロックラックギルドからジンオウガ亜種の緊急討伐命令が下されました」
「ここに持ってくるってことは……討伐するのはオレたちなんだな?」

 無言でリッシュが頷く。ジンオウガ亜種は人の肉の味を覚えてしまった。元よりボルボロス亜種を捕食するなど異常な行動をとっていたが、味をしめて凍土を離れ近辺の村を襲撃する可能性がある。そのため、緊急で討伐依頼が出されたのだ。
 しかし、討伐を行うのはリククワのハンターでなければならなかった。ギルドの資産ともいえる書士隊員を死なせた責任は重い。護衛ハンターが一番犯してはならないミスだった。異例の事態だったとはいえギルドも見過ごすわけにはいかず、ジンオウガ亜種の討伐を条件に彼らへ制裁を与えるようだ。

「アンタはいけるの、リュカ」
「いけなくても、やるしかねぇ。……万が一のために装備を持ってきていたが、まさかこんなことになっちまうなんてな」

 脇腹をさすりながらリュカが俯く。持続的な痛みがあるが、大したものではない。しかし命がけの狩猟は体に大きな負担がかかる。いくら常人離れしたハンターの体力でも、病み上がりで普段通りの立ち回りは厳しいだろう。

「ワカ、鎮痛剤はあるか。そいつで凌いでる間に黒雷狼野郎を狩ってやる」
「ユゥラさんならつくれるはずだ。宿にいる。俺たちが準備をしている間に行ってくるといい」

 宿に向かうリュカの後ろ姿を見送ると、ナレイアーナはワカを見やる。秘境で発見した時はフルフル装備が血にまみれていて驚いたが、ディーンの血だと聞かされて少しだけ安心した。

「アンタも無理しちゃダメよ。アンタだって書士隊員なんだから」
「ああ」
「…………。」

 返事をしてナレイアーナに背を向けたワカの表情を窺うことはできないが、主を見上げるモーナコのひどく辛そうな顔を見て口を噤む。目の前でディーンが死んだ悲しみと、ディーンを守れなかった罪悪感に苛まれているのではないかと思うほど。

「奴だけは……許せないんだ」

 ぽつりと呟いたワカの拳が震えている。怒りと殺意に満ちた後ろ姿だった。

「ワカ旦那さん」
「わかってくれ、ナコ。奴だけは絶対に許さない。二度も、二度も……!!」

 矛先はモンスターか、それとも不甲斐ない自分か。静かに怒りを滾らせるワカに、ナレイアーナはかける言葉を見つけられなかった。
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