狩人話譚

□ 銀白色の奇士[2] □

第13話 母 後編

「お腹に……赤ちゃんが!?」
「まだ見た目じゃわからないけどね」

 一方、朝より降雪量が増したリククワ。客人用の部屋に通されたミサはワカだけを部屋に招き、そしてベッドに腰を下ろして重大な話を打ち明けた。

「ミサ姉、お母さんになるんだ……!」

 心の底から祝福の思いを告げるワカの瞳は喜びで輝いていた。ワカだけでなく、ここにいない二人の義兄にとっても、この義姉は自慢できる存在だった。
 長らく自分より義弟を優先するように面倒を見てくれた強くて優しい姉が、キャラバンの団長と結ばれようやく彼女自身の幸せをつかんだことを手紙で知らされた時、嬉しくも遠くへ行ってしまった寂しさを感じたものだが、今はもう素直に彼女の幸せを願う気持ちしか抱いていない。
 ところが、ミサはどこか浮かない表情をしている。舞い上がっていたワカの気持ちもしだいに落ちていった。

「ミサ姉、赤ちゃんができたことが……怖い?」
「ワカ……ううん、ジン。そんな風に思っていないわ。あの人との子どもができたことは私も嬉しい。でも……。」

 そっと自身の腹部に手を添える。伏せた長いまつ毛がマゼンタ色の瞳を隠し、義姉はとても不安がっているのだとワカは気が付いた。初めての妊娠に緊張しているのではなく、別の理由があるのだと。
 負担をかけないように優しく義姉の体を抱きしめる。初めて義兄弟に受け入れられた時、怯えた心に埋もれてしまった『人の温もり』を蘇らせてくれたのは、このミサだったことを思い出しながら。

「ミサ姉ならきっと元気な子を産むよ。団長やキャラバンの人たちもミサ姉と赤ちゃんを支えてくれる。誰も、何も言わない」
「ジン……。」
「ミサ姉の子どもなら、絶対に乗り越えられる。だって、ミサ姉がそうだったじゃないか」

 義姉と視線がかち合う。ややあって、ミサがお返しと言わんばかりに左手でワカの頭を撫でた。突然の行動に思わず頭を振ってしまう。フェイスペイントをしていないこともあって、白めの肌にわかりやすい朱色が差した。

「そんなに恥ずかしがることないじゃない」
「ミサ姉、俺だって……確か、二十六だよ。そんなことをされる歳じゃない」
「私にとって可愛い弟には違いないわ。フェイも、【リウ】もね。私の“秘密”を打ち明けたのがジンだけだったから、ジンにしか話せなかった。聞いてくれてありがとう、ジン」
「うん……。」

 やはりそうだったのか、とワカは悟られないよう心の隅で考える。しっかり者の義姉ならば、村に訪問の連絡を入れただろう。そんなことすら頭に無いほど、ミサにとって命を宿したことは衝撃的だったのだ。

(今のミサ姉に、“あいつ”のことは絶対に話せないな……)
「どうしたの、ジン。また何か考えごとをしているんでしょう?」

 ハッとして姉の顔を見る。マゼンタ色の瞳がこちらを見つめている。その光に惑わされないよう、ワカは首を横に振った。

「大したことじゃないよ。それより、この様子だとキャラバンの人たちには報告をしていないよね? すぐに知らせてあげなよ、まずは団長さんからさ」
「……そうね」
「ワカ旦那さん! ミサさん!」

 部屋の外から四つ足がパタパタと駆ける音とモーナコの声が聞こえる。扉を開けると少し息をあげながらモーナコが二人の顔を見上げた。

「どうしたの、モーナコ君」
「ロロさんとモモさんが迎えに来ましたニャ。キャラバンの団長さんがミサさんを心配して遣わせたそうですニャ」
「もう、弟に会いに行くってちゃんと説明したのに……。わかったわ。話はついたし、帰るわね」

 外へ出ると、桃色の髪を結った顔立ちのそっくりな女性が二人立っている。以前ワカが世話になったことのある双子のガンナーだ。遠くで手を振っているので同じく手を振ると、身支度を整えたミサが二人の元へ歩き出し、途中で振り返る。

「話を聞いてくれて本当にありがとう」
「俺の方こそ、いい報せを聞けて嬉しかった」
「……ジン」
「なに?」
「死んじゃ、駄目よ」
「…………、うん」

 マントをなびかせてミサは入口にいた双子と合流し、再びワカと目を合わせる。逐一こう言っておかないと、あの義弟はいつ消えてしまうのかわからない。『運命』を知っている義姉は、義弟の無事を心から祈った。



 凍土では、依然ベリオロスが猛攻を振るっていた。ハンターたちは攻撃をいなし続けるが、反撃をできずにいる。その理由はナレイアーナが発した言葉にあった。

「あいつが母親だって!? それじゃ、まるで……!」
「そうよ。あのウルクちゃんと同じ、お乳の匂いがしたのよ! きっとあの時と一緒で、どこかに赤ちゃんがいるんだわ」

 氷海で会った母親のウルクスス。リククワの護衛ハンターたちにとって、忘れるはずもない相手だ。
 子どもを守るためにどんなに傷を負っても立ちはだかり、麻酔玉すら効かなかったあのモンスターは、モンスターにも『子を守る親の愛情』が存在することをハンターたちに知らしめた。

「それじゃあ、エリア2で死んでいたのは何なんスか……?」
「恐らく、あのベリオロスとつがいだった雄だ。夫がいつまでも戻らないために様子を見に来たのだろう。暴れていた個体というのは、子を守ろうと躍起になっていたこの雌を指していたのかもな」
「こいつを狩ったら、ガキが取り残されちまう。だけど、こいつはオレらを殺す気だ……くそっ!」

 あのウルクススの二の舞を起こしてはならない。親を狩り、更に幼体まで狩ることなど。しかし、このままではこちらがやられる。窮地に立たされ、たまらずリュカが悪態をついた。
 事情を知り攻撃ができなくなったことなどお構いなしに、ベリオロスは目の前の人間を食い破ろうと襲いかかってくる。息があがっているのは、母乳を与える日々で体力が万全ではないからだとハンターたちはようやく気が付いた。

「ここから離れないということは、恐らくこの近くに子どもを隠しているのだろうな」
「兄さんの言う通りっスね。あんなにしんどそうなのに、一歩も退く気配を見せないっス」

 猛攻の合間に大きく呼吸をし、態勢を立て直そうとするベリオロスの様子にナレイアーナは心が痛んだ。あのベリオロスも、子どもを守るために身を挺して立ち塞がっている。このままでは自滅してしまうのではないかと恐れを抱いてしまうほど。

「お前ならどうする、クレイド」
「…………。」

 いつもならここで策を講じてくれるワカはいない。ならば、凍土調査隊の護衛ハンターを頼る手もあるのではとリュカは考えた。
 クレイドはリュカの問いに答えないままベリオロスの攻撃を盾で受け流すと、棘で氷の大地をしっかりと踏みしめて対峙するベリオロスと目を合わせる。
 その直後、ホウテンゲキを力強く地面に突き刺す。グラリと大地が揺れた。

「ベリオロスよ。我々と言葉が通じ合わないことは承知している。……だが、」

 武器を地面に刺したまま、ランスを力強く握りしめる。アグナZヘルムの隙間から覗く薄紫色の瞳に強い殺気が灯り、遠巻きで見ていたバギィの群れは恐れをなして洞窟へ逃げて行った。

「今のお前には我々を倒すことなどできん。すぐに子どもを連れて遠くへ逃げるがいい! さもなくば、お前も、お前の子どもも狩るぞ……!」

 クレイドの全身からほどばしる殺気。リュカとナレイアーナも思わず息をのんだ。
 ベリオロスはしばしクレイドと向き合っていたが、やがて戦うことを諦めたのか、突き出していた前足を引くと背を向けて飛び去る。ナレイアーナが匂いを追うが、嗅ぎとれなくなったことから秘境へ向かったのだろうと推測した。

「殺気で大型モンスターを追い払うなんて、すげえな」
「…………。」

 ホウテンゲキを抜き背に戻すと同時に放たれていた殺気が霧散していく。だいぶ神経をすり減らしたのか、クレイドは大きく息を吐いた。

「これでベリオちゃんも赤ちゃんと一緒に遠くへ行ってくれたらいいんだけど」
「せめて赤ん坊が成体になるまでは安全な所で暮らしてほしいっスね。それよりクレイド兄さん、すごかったっス。オレ、ずっと昔にイタズラして兄さんにこっぴどく叱られた日のことを思い出してしまったっス」
「お前……何をやらかしたんだよ?」
「あっ、いや……忘れてほしいっス」

 クリフに茶々を入れるリュカのやりとりを聞きながらアグナZヘルムに手をかけ、素顔を外気に当てる。汗が伝う顔を空に向け、クレイドはぽつりと語った。

「……ある猟団のランサーがああやって大型モンスターを追い払ったことを思い出してな。十数年ほど前の話だが」
「へー。随分とおっかねえランサーもいたもんだな」
「そのランサーは怪我を理由に引退した後は書士隊に入った。君たちもよく知っている男だ」
「……なっ!?」

 猟団に所属していたランサー。怪我を理由に引退。今は書士隊員。全ての条件を満たす男が、リククワにいる。

「ディーンが、そうなの……?」
「現役時代の彼は勇猛果敢なハンターだった。書士隊に入隊して以降はずいぶんと穏やかになったそうだが。入れ違いだが、私は彼が所属していた猟団にいた事があって、その時に話を聞いた。後に実際に会いもしたぞ」
「あのディーンが勇猛果敢……信じられねぇな」

 妻のユゥラと常に一緒にいて、穏やかな笑みを絶やさない今のディーンからは想像できない、と二人は首をかしげた。

「目的は達成された。ユクモ村へ帰還しよう」
「そ、そうね。帰りましょう」

 ベースキャンプで足を崩して眠っていたポポを起こし、荷車を動かす。ゆっくりと凍土を離れ、ハンターたちは温かいユクモの地へ帰って行った。



 リッシュと合流し、軽く報告をしていると突然クリフが『あっ!』と声をあげた。そして注目させるべく、とある方角を指さす。

「よかったら【足湯】に入っていかないっスか? 集会浴場が今は改装工事をしていて、代わりとしてたまたま湧きだした場所を利用してつくったらしいっス」
「足湯ですか、素敵ですね。リュカ、イアーナ、狩りで疲れた足を癒したらどうですか?」
「あ? うっ……そ、その」
「……どうしたんですか?」

 珍しくどもるリュカを見てリッシュが首をかしげる。即決で答えがくると思っていたので、予想外の反応だ。どう答えたらいいのかわからないような、リュカとしてはあまり見せない困り顔をしている。そんなリュカの腕を小突いてナレイアーナが笑う。

「イリスの所に早く帰りたいのよね? このシスコンは、すぐにでも妹のところに戻らないとぶち切れちゃうから」
「そうなんスか。それなら妹さんと一緒か、時間に余裕がある時に来てくれればいいっス。歓迎するっスよ」
「悪ぃな。それじゃオレら、村に帰るぜ」
「来てくれてありがとう。いつかは我々も力を貸そう」
「その時は頼りにするわね」

 足早に飛行船のある外れに向かうリュカを、ナレイアーナが追いかける。そして、同じく後をついてくるリッシュに聞こえないよう小声で話しかけた。

「感謝しなさいよ。あのままじゃアンタ、足湯に入らなくちゃいけなくなるところだったわ」
「……すまねぇ」

 気まずそうに頭をかく。うまく返答できなかった自分が情けない。あの気さくな兄弟には申し訳ないが、今後も足湯を利用することは無いだろう。

「…………。」

 空を見上げる。澄んだ青空は、今一番会いたい相手の瞳を映したような色だ。
 リククワに帰る頃には日が暮れるだろう。戻ったら、モリザのつくるおいしい夕食を食べながらベリオロスの話をしよう。それからジンオウガ亜種の話もして、ワカには義姉と何を話したのか尋ねよう。

「あー、早くイリスの顔が見てぇなあ」

 その言葉は取り繕ったものではなく、心の底からそう願って口からこぼれた本心だった。
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