狩人話譚

□ 銀白色の奇士[5] □

第41話 休息 前編

 その日、リククワを訪れたのは一人の商人だけだった。男は以前この拠点に物資を届けていたアルの後任であり、同じくワイラー商会に属している。
 これまでに数回顔を出しているが、やり取りを淡々と済ませると引き上げていく。その姿を見る度に、リッシュは優しい笑みを絶やさず住人と触れ合ったかの男に想いを馳せていた。商人を見送ると、片隅で育てている花のつぼみに視線を向ける。

「寒いところでも咲く花って、すごいね。あとどれくらいで咲くのかな」
「もう数日ほどでしょうか。とても鮮やかな赤色の花だそうです。ユゥラから教えてもらいました」
「楽しみだね!」
「ええ、そうですね……」

 屈んでつぼみを見つめるリッシュにルシカが声をかけるも、会話はさほど弾まない。リククワに来る商人が交代したことしか知らない少女は、リッシュの元気が無いのはアルと会えなくなったためだと思っている。
 だが、事実を知らずともルシカは一人の友人として彼女を励まそうと、母譲りのお節介を焼いた。リッシュもその優しさに支えられ、感謝している。アルから受け取った紅生花の種も、二人で植えて育てた。
 チラチラと舞う白いものが視界に入り、顔を上げる。日差しの無い灰色の空から、雪が降り始めていた。リククワのハンターたちはしばらく遠方で活動するために拠点に戻らない報せを聞いて早数日。彼らは元気にしているだろうか。

「そろそろ中に入ろうよ。新しい茶葉を買ったから、あたしのつくったタルトと一緒にどうかな」
「いいですね、ごちそうになります」
「イアーナも呼ぼう。新作の感想が欲しいし」
「それならユゥラやイリスも誘いましょう。もちろんモリザさんやヌイも」
「女子会だね! あ、でもおじいちゃんだけ仲間外れになっちゃうから、やっぱりみんなで食べよっか!」
「ふふ、そうですね」

 明るい声がリククワに響く。狭く冷たいこの拠点の暮らしを嫌がっていた彼女が、こうも変わるとは。弾むように駆けるルシカの後ろ姿から元気を分け与えられた気がして、リッシュは微笑んだ。




 リククワを去った商人が荷車を引きながら雪道を下る。だが、途中で足を止め周囲を見渡すと、木々の陰からナレイアーナが姿を見せた。

「手紙でこの辺で待つようにって指示されたから来たけど、何の用かしら」
「……貴女が、ナレイアーナさん」
「そうよ。わざわざアタシをご指名するなんて、どういうつもり? あ、言っておくけど、デートならお断りだからね」

 冗談っぽく話すナレイアーナに苦笑いしつつ商人は荷車の中から封筒を取り出し、彼女に手渡す。見慣れない紋章は火の国のもののようで、『ワイラー商会』の文字を見て怪訝な表情を浮かべた。

「アルヴァド様の兄、トマス商会長からの手紙です」
「…………。」

 封を切り、手紙に目を通すうちに思わず商人に顔を向けた。内容を知っていたらしい褐色肌の青年は、凛々しい表情で語る。

「現商会長は組織を変えようとしています。商会の発展だけではなく、人間関係も。私はトマス様の秘書。バルバレギルドに拘留されているアルヴァド様に代わり、リククワに荷物を届ける任務を託されました」
「アルがやったこと、そっちにも伝わってるのね」
「はい。前商会長はアルヴァド様……末弟ミゲル様もですが、お二人を息子ではない、だからあの件は商会には関係が無いと仰っていました。ですが、それをトマス様が許しませんでした。商会の名ばかり気にして実の兄弟を蔑ろにしてきた前商会長の行動に、我慢の限界がきたのです」

 初めて聞くアルの兄の思惑を知り、ナレイアーナは驚いた。父親の寵愛を受けた結果、弟たちと血の繋がりを否定していたのではないかと勝手な想像をしていたからだ。

「ミゲルから長男だけが可愛がられてたって聞いてたけど、兄弟仲は悪くなかったの?」
「悪いどころか、良好です。食事をさほど与えられなかった日には、トマス様は自分で買った食料を分け与えました。お二人もトマス様には心を開いていましたよ。数年前に商会に戻られたアルヴァド様からミゲル様が行方不明になられたと聞かされた際も、とても悲しんでおられましたし、今回の件でも心を痛めています」

 商人の口振りから、長兄トマスは信用できる人物のようだとナレイアーナは思う。ここまで裏事情を暴露したのも、自分がミゲルと親しかったことが伝わっていたからだろう。

「トマス様は、アルヴァド様の釈放を強く願っています。そのためにバルバレギルドにも交渉を持ちかけつつ、帰る場所として商会を今一度立て直そうとしています。また、ミゲル様の墓もこちらに建てたいと申し出ているとのことです。私は、アルヴァド様が戻るまで代役をするつもりです。このことはミゲル様と親しく、アルヴァド様とも関わりを持つ貴女にだけ伝えるよう言われました。どうか、拠点の方々には内密に」
「わかったわ。本当は伝えたい子が一人いるんだけど、下手に言って動揺させちゃいけないものね」
「ご理解いただけて嬉しいです。それでは、私はこれで」

 荷車に手をかけ、再び商人は雪道を歩き始める。その姿を見届けながら、ナレイアーナはアルヴァドが戻る日を願いつつリククワへ引き返した。



「ユゥラさん、先日の調査のレポート、ここに置きますね」
「ありがとう」

 ユゥラの部屋では、書士隊の女性二人が作業に追われていた。イリスは氷海で行われた調査のまとめを、ユゥラは以前から続けている古文書の解読を。書類を机の片隅に置くと、イリスは椅子に座るユゥラの背後にまわった。

「解読の進捗はいかがですか?」
「“凍……る、心火……神”とまではわかったのだけど、まだまだね」
「やはり寒冷地に住まうモンスター……それも古龍レベルの個体についての内容でしょうか」
「その可能性が十分に高まったわね。問題はその個体がどこに生息して、いつ姿を現すかということかしら。古文書に書かれるモンスターはどれも凶暴で、自然を破壊する恐れがあるほどの存在。一刻も早く解読したいところだけど、これ以上はドンドルマの大老殿にお願いする方がいいかもしれないわね。優れた書士隊も多いし、…………」
「……ユゥラさん?」

 言葉が不意に途切れたため、イリスが首を傾げる。顔を覗き込むと、少し疲れているように見えた。目を閉じて息をつくと、青の瞳がゆっくりと開かれる。

「ごめんなさい、ちょっと目眩がして。もう大丈夫よ」
「無理はしないでくださいね。ルシカさんから聞きました、最近あまり食事もとっていないって。辛い時は、私がユゥラさんの分まで頑張りますから」
「そう言ってくれると心強いわ。でも、自分ができることはできるだけやっておきたいの。この古文書は、あの人が解読をしていたものだから」
「…………。」

 古びた紙をなぞる指はとても優しげで、愛おしさすらある。イリスにはそう見えた。だがそれ故にどこか脆さも感じ、座ったままのユゥラをそっと抱きしめる。

「イリス?」
「ユゥラさんの周りには、私たちがいます。だから、安心してください」
「……ありがとう」

 体調を気遣うイリスの優しさが嬉しくて、ユゥラもイリスの頭を撫でた。雪のような真っ白でふわふわした髪の毛が触っていてとても心地よい。
 ノックの音が響く。抱擁を解き、どうぞと応えるとモリザが顔を覗かせた。

「仕事中だったかい?」
「いいえ、ひと段落ついたところよ」
「そうかい。ルシカがみんなでお茶会をしないかってね。休憩がてらどうだい」
「素敵ですね、行きます」
「食堂で開くよ。準備ができたら、おいで」
「…………。」
「ユゥラ、どうしたんだい?」

 喜びに満ちた表情を見せたイリスとは対照的に、気まずそうな顔をしたユゥラの変化をモリザは見逃さなかった。指摘されて驚いたのか、目線を逸らしぽつりと呟く。

「その……甘いものは、あまり」
「ユゥラさん、体調があまり良くないみたいで。せめてお茶だけでもいかがですか?」
「…………。」
(もしかして、この子は……)

 イリスの勧めにも好意的でない態度を見て、モリザはある可能性を見出した。とはいえ確証は無いし、触れていい話題かも判断ができないのだが。
 それでも、同じ女として尽くせることはしてやりたい。彼女を助けてやることは、きっと遠くで見守っているあの男が望んでいることなのだから。

「イリスは食堂においで。……ユゥラはここで休んでるといいよ、後でここに飲み物を持ってくるから。七色タンポポのコーヒーをね」

 ユゥラとはコーヒーを飲みながら、話をしよう。そう思いモリザはイリスを連れて食堂へ向かった。



 バルバレを訪れていたカゲは、未だ入院をしているはずだったキョウの元に向かった。『だった』というのは、数日前病院から抜け出したという話をミツキから聞いたためだ。

「脱走するなんて恭らしいよね。僕らとも同じ空間に長く居る事が無いから、病院の個室でずっとお世話をされる日々に嫌気が差したんだろう」
「きっと、そうだろうね。腕は治療中だけど足は健在だから、恐らくは里に帰って療養を続けているんだと思うよ」
「とは言え、脱走したは拙かったかな。後でお叱りがいきそう」

 笑いながらバルバレを歩く二人は仲の良い姉弟のようだ。だが、カゲはこれから自身の本当の姉に会いに行く。バルバレに足を運んだ本当の理由は、このためだ。
 義弟であるワカが手紙を姉に送り、再会の日時を決めてもらった。彼にも同行を頼んだが、折角の姉弟の対面なのだからとやんわり断られた。ミツキはキャラバンのある場所の手前までという約束だ。

「ワカさんにきみの正体を気付かせてしまった事、申し訳ないと思っているよ。リククワの皆も知る事に為ったんだね?」
「ムロソ様はシナト村に居た頃の僕を知っていたから、隠し通すのは不可能だと覚悟していたよ。寧ろ、お陰で姉さんに会う運びに為った。命も救われたし、良い事尽くめさ。有り難う、美月」

 ゆっくりと目的地へ向かっていく。バルバレに数あるキャラバンの中でも一際規模の大きい、優秀なハンターが多く所属しているという猟団だ。
 そこに、二十年捜し続けていた姉がいる。そう思うと感動と興奮と不安が混ざり合い、カゲの手が震えた。その手をミツキが両手で包む。

「行っておいで、白土」

 そう言って微笑むミツキに応えるように、カゲはしっかりと頷いた。実年齢は逆転しているが、自身を支えてくれた彼女もまた姉のような存在だったのだと感謝しながら。
 拠点の内部にはハンターだけではなく、生活を支える調合師や医師もいる。多くの人とすれ違いながら、カゲは待ち合わせ場所である飛行船を目指した。

「あの子じゃない?」
「きっと、あの子よ」
「良かったね、ミサ」

 地獄耳が、女性の声を聞き取る。その中に、捜し続けていた姉の名前が含まれていて、カゲの足取りが速くなった。

「…………!」

 赤い髪の女性が、飛行船の前に立っている。近くには双子の女性もおり、一人は何かを大事そうに抱えていた。
 思わず駆けだすと、それより早くクレハが飛び上がった。迷わずまっすぐ飛んだ彼女は、赤い髪の女性の目の前で羽ばたきながらじっと見つめている。
 女性が左腕をすっと挙げ、クレハはためらうことなく腕にしがみ付く。まるで、女性が操虫棍の使い手であるかのように。それはクレハが女性を知っていることを示した。
 追いついたカゲは息を整えながら顔を上げる。ワカが月色の瞳から見せた、あの人だ。たまらず喉の奥が締まる感覚がするも、泣くのはまだ早いと思い堪えながら、名を呼ぶ。

「貴女が、光紗ミサ姉さん……?」
「ええ、そうよ。会いたかったわ……影」
「――――!」

 姉の優しい肉声を聞いた途端、カゲの目から大粒の涙がこぼれた。二十年もの間、会いたいと願っていた唯一の肉親。遂に成就したのだと思うと、涙が止まらない。
 そんなカゲを、ミサはそっと抱きしめた。その優しい手つきはワカと同じで、かの抱擁はこの姉譲りだったのだと知った。

「僕も、会いたかった……姉さん、光紗姉さん。父さんも、母さんも居なくなって、僕……寂しかった」
「ごめんね、影。あれ以上、みんなに迷惑をかけたくなかった。私がいなくなることで、影だけでもみんなで助けて欲しいと思って。でもそれは、君を深く傷つけてしまっていたのね。本当に、ごめんなさい」
「もう、良いんだ。光紗姉さんと会えたから、もう、全部良いんだ。息災で、幸せになっていて、良かった」

 ミサの声も震えていて、姉もまた泣いているのだとカゲはその背を優しく擦った。すると今度は深紅の髪を撫でられ、再び涙がこぼれる。

「ミサ」
「そうね……影、見て。私が産んだ子よ。女の子なの」

 再会の光景に涙ぐんでいた双子の一人が、幾何学模様布に包まれていた赤ん坊をミサに渡す。
 すやすやと気持ちよさそうに眠る姪を見て、笑みがこぼれる。禁忌の存在とされる半竜人がこうして生き延び、子を産むことができた。何より、姉が母親になったことがとても嬉しかった。

「半竜人と人の子なら、竜人族の血も薄れているはず。僕らみたいに大変な思いをしないで済むだろうね」

 丸い耳、五本の指。竜人族を象徴するものは今のところ見られない。この大所帯のキャラバンの中で育てられるのなら、安心できる。
 カゲは涙を拭い、背を向けた。姉に、姪に会うことはいつでもできる。だから、これからは自分の使命を果たすだけ。

「もう行くの?」
「時間ができたら、又会いに来るよ。僕は狩人であり、ギルドナイト。これでも結構忙しいんだ」
「そう……いつでも歓迎するわ。影、行ってらっしゃい」
「行ってくるね、光紗姉さん」

 左手を挙げ、立ち去る。姉たちに、リククワのハンターとして恥じぬ生き様を見せたい。カゲの胸に決意が宿った。
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