狩人話譚

□ 銀白色の奇士[4] □

第34話 昵懇のギアドローム 前編

 少年はひた走る。視界の悪い霧の道は過ぎた、後は陽光に照らされた森を突っ切るだけ。数ヶ月前の記憶を頼りに、どこを見回しても木々しかない大地を必死に駆け抜けて行く。

「……たしか、ここ」

 白い息を何度も吐きながら、ぽつりと呟く。足を滑らせた跡が残っている向こうで、自分は氷の壁に閉ざされた拠点に住む心の温かい人々に助けられた。
 その人たちに、再び助けを求めなくては。腰に下げていた角笛を手に取り、崖の下に向かって息を吹き込む。拙い音が響くが、反応は無い。ここはあの場所から離れている。偶然誰かが近くを通りかからない限り、この音を聴く者はいないだろう。

「…………。」

 自分を助けてくれた人々の顔を思い浮かべる。誰かがこの音を聴いてくれることを信じて、再び口を添える。息を吐きすぎてくらくらする頭を押さえながらも、少年は何度も角笛で叫び続けた。誰か、誰か助けてと。

「おい! そこで角笛を吹いているのは誰だ!」

 その願いが通じたのか、下から声が聞こえる。きっとあそこに住んでいた誰かだ。落ちないようにおそるおそる崖に近づき覗きこむと、薄紫色の短い髪の男がこちらを見上げている。

「……おじさん、だれ?」
「あぁ!? オレはおじさんって呼ばれる歳じゃねぇぞ!」

 狼牙大剣を背負ったおじさんことリュカはこめかみに青筋を立てて上方にいる少年、レタルトムに怒りの握り拳を突き上げた。



「驚いたよ。霧隠れの里の子がまた此処へ来るなんて」
「鍛錬をしていたリュカが角笛の音を聴いて、出所を探していたら崖の上にいるレタルを見つけたそうなんだ。……どうした、リュカ」
「うっせぇ」

 部屋の主であるユゥラに世話を焼かれているレタルトムをカゲとワカが遠巻きに眺めている。今回の功労者であるはずのリュカが壁に寄りかかって不貞腐れている姿を見て、カゲは何があったのか察した。彼もキョウと同じ扱いをされたのだろうと。

「村で過ごしていたんじゃなかったの?」
「……、けて」
「えっ?」
「とうさんを、たすけて」

 ホットミルクを渡し、肩を優しくさすりながらユゥラが尋ねると、温かい飲み物を得たことで心も体も落ち着いてきたレタルトムが訪問の理由をぽつりと口にする。助けて欲しいという願いに、良からぬ事態が起きているのだとリククワの者たちは直感した。

「怪我? それとも病気?」
「ベッドのうえで、ずっとねてる。あとね、むらがずっとさむいんだ。ひをつけても、さむいの」
「火を灯しても寒い……? 確かにここ連日は真冬日が続いたけど、どういう意味かしら」

 ナレイアーナの疑問を聞いたワカが顎に手を当て考え込む。レタルトムが住む村に関する情報を脳内でまとめ終えると、カゲに尋ねた。

「……カゲ、ウラルの村の近くには湖があると言っていたな」
「うん。そこから霧が発生して村を隠してしまうんだ」
「で、あれば……恐らくその湖は今“冷気湖”になっている」
「れいきこ?」

 首を傾けるレタルトムにそうだ、とワカが頷く。何かの専門用語だと悟ったリュカはこれから語られる説明が気の遠くなるほど長くなりそうだと覚悟した。この男の話は、とにかく細かい。

「村の近くは窪んだ地形になっているらしいな。そういう場所は山から吹いた冷たい風が留まり、放射冷却が発生しやすい。その冷気が溜まった状態を冷気湖というんだ。設備が整っていなければ、極寒の日々に耐えられないかもしれない」
「此処はさほど寒くはないと感じるけど?」
「リククワは平坦な場所にあるし、海も近い。だからウラルの村よりは寒さが和らいでいる。とにかく、このままだとレタルの村が氷に閉ざされてしまうな……」

 ウラルの村に迫っている危機が想像以上に手強いとわかり、ユゥラの表情が不安に染まった。早急に手を打たなければ、レタルトムの父親どころの話ではない。
 腕を組んで口を挟んでいたカゲが少し時間を置いて『よし』と呟く。腰に左手を添え、右手は自身の胸に当てて主張する。

「僕は一度バルバレに戻るよ。上層部にこの件を伝えて、疎開先を見つけてもらう」
「疎開……って、村人全員を?」

 思いがけない言葉にナレイアーナが驚いた。果たしてそのようなことを一端のギルドナイトが実現させられるのかと。だが、カゲはそんな疑問を気にせずに持論を続けた。

「以前訪れた時から思っていたんだ。いくらモンスターの危機が無い土地で細々と生活できているとはいえ、気候の厳しい場所に住む必要は無いんじゃないかって。これを機に、彼らは外の世界に出るべきだ。受け継がれた知識と経験を生かせば農業の仕事に従事することも可能だし、彼らも社会の一員に成れる」
「外の世界……そうだな、俺はカゲに賛成だ。いつまでもしきたりに縛られる必要なんて無い」

 カゲの意見にワカが賛同し、残りの面子も納得する。リククワは安全を確認の上でつくられ、定期的に生活用品を支給される恵まれた環境だが、ウラルの村はそうではない。
 大型モンスターの脅威は無くとも、今回のように自然という大きな存在にいとも簡単に振り回されてしまう。ならばいっそのこと極寒の地を離れ温かい新天地を目指すのはどうかと、カゲは考えていたのだった。
 一つの考えがまとまったところで、モーナコが部屋に入ってくる。身を屈めたワカが少し冷えた相棒の体を優しく撫でた。

「ワカ旦那さん、お客さんが来ましたニャ」
「お客さん?」
「前にもここに来たハンターさんですニャ!」
「取り込み中であったか、すまんの」
「お前は……モルガーヌか」
「応。久しいのう」

 モーナコの説明の途中で部屋に入ってきたのは、数ヶ月前にリククワを訪れた料理人ハンターの女性、モルガーヌだ。
 氷海に出現した巨大ザボアザギルの背ヒレを手に入れるために共に狩猟に参加した彼女が再びここを訪れたということは、今回も食材絡みなのだろうとリュカたちは察する。

「フラヒヤ山脈での活動を許可されたと聞いたからの、雪山でひと狩り行かぬかと誘いたかったのだが……タイミングが悪かったようじゃな」
「雪山? モルガーヌってバルバレのハンターじゃなかったの?」

「ワシは龍歴院に所属しておる。肉のギルドにも登録しているから、バルバレにもよく足を運んでいるがの。幅広い地域を行き来して様々な食材を探し回っていたところよ」
「それは初耳だったな……雪山、そうか。レタルの父親の治療に雪山草はどうだろうか」
「いい案だね、ワカ。あれは怪我にも病気にも効果を発揮する。アルヴァドも共にバルバレに向かわせるよ。村の備蓄を一部支給するから、補填が必要になるしね。君たちはこの女性と雪山の依頼をこなしながら雪山草を入手して欲しい。双方の目的が果たせたら霧隠れの里へ行こう」
「そうと決まれば準備を始めるか。ユゥラ、子守りは頼んだぜ」
「ええ。任せて」

 方針が固まったハンターたちが部屋を出て行く。最後に出ようとしたカゲが不意に振り向くと、レタルトムがきょろきょろと忙しなく頭を動かしているのが気になって、少年の元へ戻った。

「誰かを捜しているのかな?」
「ぼくをたすけてくれたおじさん」
「ああ、恭“おじさん”ね。別の仕事をしているから違う場所にいるんだ。近々此処へ来る予定だから、君の村に行く時に合流できそうかな。それまで待てるかい?」
「うん!」

 いい子だね、とレタルトムの頭を撫でて立ち去ったカゲの後ろ姿は実年齢より大人びた印象を受ける。しっかりした少年だとユゥラが考えていると、レタルトムはユゥラの部屋に詰まっているたくさんの書物に興味を持ったのかあちこちを見回している。

「君に教えてあげられる知識はたくさんあるわよ。どれから読みたい?」



 晴天の下、リッシュの操縦する飛行船はフラヒヤ山脈を目指す。冷たい風が頬を撫でるが、寒さに強い彼らには大したものではない。
 空に拠点があるという龍歴院所属のモルガーヌは飛行船の移動にも慣れており、のんびりと景色を堪能していた。そこへナレイアーナとワカが近づく。リュカは船室にいるようだ。

「モルガーヌ、雪山の依頼って何かしら」
「【ドスギアノス】のモモ肉じゃ。高低差の激しい雪山を駆け回る奴の脚は非常に発達していての、煮ても焼いても旨い。先の話、あの童の故郷にゆゆしき事態が起こっていると見た。モモ肉を入手できたなら一部を支給しよう。うまい肉の味を教えてやりたいしのう」
「ありがとう、モルガーヌさん。雪山草採取の手伝いをしてくれるのだから、俺たちも依頼に協力するよ」
「うむ」

 頷いて答えながらモルガーヌが不意に歩きだし、ワカの背後に立つ。顔を向けどうかしたのか、と尋ねるワカの声を聞き彼女は我に返ったかのように目を見開き、首を横に振る。

「いかんいかん、ヌシには相手がいるのじゃったな」
「えっ?」
「ベルナの英雄が愛している男、それがヌシであろう? 相手がいる男には手出しはせんよ」

 ベルナの英雄、つまりエイドのことを話しているのはわかる。だが手出しとはどういうことか。怪訝な表情を見せたワカに対しモルガーヌはカラカラと笑った。

「氷海で見たヌシの腰つきが忘れられなくての。狩猟笛を担ぐことで鍛えられた上半身と、生まれ持った細い腰とのバランスが完璧なのじゃ。できれば素の肉体を眺めてみたかったが……同胞の怒りを買うわけにはいかぬ」
「モルガーヌ、アタシにはちょっと意味が伝わってこないわ……」
「大丈夫だナナちゃん、俺もどう反応したらいいのかわからない」

 優れた実力を持ち食材に関する知識も十分に兼ね備えている熟練のハンターなのだが、どうも風変わりなところがある。二人はモルガーヌをそう評価した。もし男性だったら間違いなくギルドナイトに通報していたかもしれない。彼女の場合、通報したところでギルドナイトも巻き込まれる可能性もあるが。

「ところで、ドスギアノスだが……他のドス一族と同じく群をなす鳥竜種じゃ。奴らは氷液を吐き出し身動きを封じようとしてくる。子分どもにも注意を払わねばならん」
「雪だるまにされちゃうのは困るわね。アタシは散弾でギアノスちゃんを追い払うわ。小柄で動き回るから弱点を狙いにくいし、モルガーヌたちにも当たるかもしれないから」
「俺もナナちゃんのサポートをするよ。囲まれたりしたら大変だ」
「残りのあの男とワシでドスギアノスを討伐するとしようかの。……彼奴はどこじゃ?」
「ああ、リュカなら部屋の中よ。高所恐怖症とは違うんだけど、あまり外に出たがらないの」
「あやつの尻を叩いた時の弾力も良かったのう。大剣を支える強い足腰をしておる。叩くだけではわからんから、次は揉んでみたいものじゃ」
「…………。」

 モルガーヌの船室へ向けられた視線は獲物を狙うイビルジョーに似たものを感じ、意味が無いにも関わらずワカは手を後ろに回す。そして船室からはリュカの豪快なくしゃみが聞こえた。彼もハンターの直感で何かを察したのかもしれない。



「なあ、移動中にオレの噂でもしてたか? いきなり寒気がしたんだけど」
「ドスギアノス討伐に向けて役割分担をしただけだ。他は何も話していない」
「そうね、それだけよ」
「二人とも頑なじゃのう」
「はぁ?」

 ポッケ村を通り抜け雪山のベースキャンプでリュカが三人に尋ねるが、結託したかのような返答をするワカとナレイアーナに間の抜けた声が出た。
 二つの依頼をどちらからこなすのかを移動中に話し合った結果、ドスギアノスの討伐を先に行うことにした。採取中に襲われてしまったら態勢を立て直すのに苦労するからだ。雪山に住むモンスターの中では危険度の低いドスギアノスだが、モルガーヌが語った統率力の高さを侮ってはならない。
 ナレイアーナが嗅覚でドスギアノスの居場所を特定しようと試みる。標高の高い場所にいるのか微かな臭いしか嗅ぎ取れないが、地図に添えた指先はエリア6を指した。

「恐らくこの辺りね」
「見事な嗅覚じゃのう。キノコ探しにも役に立ってくれそうじゃ」
「気性の荒いドスモスってことか、傑作だな!」
「ワシは素直に褒めただけなんだが」
「わかってるわよ、モルガーヌ。こいつはわざと言ってるのよ」

 ジロリとベリオXヘルムを睨むとリュカはおー怖い怖いと笑いながらワカの後ろに隠れた。こういうやり取りに慣れきったワカは軽くため息をつく。このやり取りに和まされることもあるので止めもしないが。

「雪山草は寒い場所で育ったものほど効力が強いらしい。そしてドスギアノスはエリア6から8の標高の高いエリアを移動しているから、都合がいいな」
「詳しいのう、ワカ。バルバレのハンターでありながらよう知っておるな」
「この間カゲに教わった。高い授業料を支払わされたけどな」
「あー、あの時のカゲがおいしいご馳走を食べたって、やたら上機嫌だったのはそういうわけね」

 納得したようにナレイアーナが笑う。彼女がリュカと共に雪山の護衛ハンターであるメイとパイと出会っていた頃、ワカはカゲとポッケ村にいた。村に戻ってきた時にカゲの細目が嬉しそうに見えたのは気のせいではなかったようだ。
 先日通ったルート、エリア4、5の洞窟を抜けてエリア6へ。悲劇の痕跡は全て撤去されており、何事も無いような静かな時間が流れている。
 やがて、数頭のギアノスを連れる一回り体の大きいドスギアノスを見つけた。こちらに背を向けているため、まだ気づかれてはいない。奇襲を仕掛けることも可能だろう。

「一気に攻めるか?」
「待て、移動をするようだ」

 大剣の柄を握るリュカをワカが制止する。ドスギアノスは隣接するエリア8に体を向けており、号令のようにひと鳴きすると雪の大地を蹴って走り去った。
 群れを追いエリア8に入るが、後方にいた一匹のギアノスがこちらを見て鳴き声を発する。それを聞いたギアノスたちが向き直り、彼らを守ろうとドスギアノスが立ちはだかった。鮮やかな空色のトサカが日光に反射し、まるで氷結晶のように透ける。

「こうなれば奇襲はできんか。作戦通りいくぞ」
「わかったわ!」

 ナレイアーナとワカがギアノスの駆除を担い、リュカとモルガーヌでドスギアノスを討伐する。長を守ろうとギアノスが集まるが、ナレイアーナがアスールバスターを構え散弾を放って撃退した。

「ここんとこ大型モンスターの狩猟ばかりだったから、群れを相手にするのは久しぶりだぜ」
「油断してやられるんじゃないわよ?」
「ハッ、お前こそな!」

 雪山の山頂で混戦が続く。だが、この時リュカたちは気付いていなかった。遠くから新たな足音が近づいていることに……。
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