狩人話譚

□ 銀白色の奇士[3] □

第27話 黒靄狂乱 後編

 うっすらとした血の臭いと鼻にツンとくる薬の臭い、そして心が落ち着く優しい匂いを感じ取ってゆっくり瞼を開けると、金色の瞳とかち合った。

「ナコ……! 良かった、目を覚ましてくれて」
「ワカ旦那、さん」
「動かなくていい。今のお前には休養が必要なんだから」

 首だけを動かして辺りを見回し、ここがリククワだと気付くとモーナコは自分が生き延びたことを実感した。全身が痛むが、ワカの治療を受けたことで意識を保てるほどに落ち着いている。
 目を覚ました自分を見て安心しきったワカの額には包帯が巻かれている。インナーの下にもガーゼが見え、そっと手を当てると俺は大丈夫だ、とその手を優しく捕まれた。

「カゲたちが救助に来てくれたんだ。今リュカたちが報告をしている」
「…………。」
「お前を助けられて本当に良かった。お前までいなくなったら、俺……」

 その後の言葉を紡がない代わりに、モーナコの体を傷に障らない程度の力で抱きしめる。
 ワカは朦朧とした意識の中で、モーナコの悲鳴を聞いた。なんとしてでも助けなければと腰ポーチから生命の大粉塵を取り出したところで意識がまた途切れたが、気力を振り絞って再び立ち上がり治療を施すことができて本当に良かった。
 そんなワカの気持ちが伝わったのか、モーナコは申し訳なさそうな表情をしている。手でワカの体を押して顔を合わせ、告げる。

「……ワカ旦那さん、ごめんなさいですニャ」
「いきなりどうしたんだ? ナコが謝る必要なんて無いだろう」
「ボク、ワカ旦那さんの足を引っ張ってばかりですニャ」

 小柄な体は攻撃をかわしたり囮になることに生かされていたが、その反面風圧で簡単にひっくり返ったり規模の広い攻撃に対応できないことも多かった。
 イララが引き起こした冷水に落とされたことやボルボロス亜種の雪玉を避けきれなかったことは、モーナコの中で劣等感を生み出す原因となっていた。そして、いつかはこの覚悟を決めなければならないとも。

「ワカ旦那さん……ボク、これ以上ワカ旦那さんたちと一緒に頑張れませんニャ」
「ナコ、何を!?」
「ボクじゃなくて、別の護衛ハンターが務めるべきですニャ。ボクはワカ旦那さんのオトモアイルーだからここに入れさせてもらえただけで、ボク自身はG級ハンターじゃなかったんですニャ。だからボクはあの枠にいちゃいけませんニャ」
「嫌だ、そんなことを言わないでくれ!」

 別れを告げるような言葉にワカが首を横に振る。だが現実を見据えたモーナコの気持ちは強く、ワカの頬に触れると不安に揺れるハチミツ色にしっかりと目を合わせて話しかけた。

「このままだと、きっとワカ旦那さんはボクのために傷つきますニャ。ボクがワカ旦那さんの運命を決めてしまうと思うんですニャ。……ごめんなさいですニャ、ボクがワカ旦那さんを守るって言っていたのに、ごめんなさい、です、ニャ……」

 鼻が急に詰まり、涙で視界がぼやける。今生の別れではないのに、主との距離が離れる寂しさと悔しさがモーナコの頬を濡らした。
 目尻の雫をそっと拭うワカの表情はとても悲しそうだったが、目を閉じるとモーナコの思いを受け止めて熟考する。二人で歩んできた道を振り返り、意志を確認した。

「その決意に、後悔はないんだな?」
「…………はい、ですニャ」
「わかった。明日の朝、長老に伝えるよ」
「…………。」
「だけど一つだけ訂正させてほしい。お前は立派なG級ハンターだ。俺だけじゃない、みんながそう思っている」

 優しく頭を撫でるとニャフ、とモーナコの口から嬉しそうな声が漏れた。ワカとて相棒がこれから先、狩猟の際に傍にいないことは心細く思うが、今回のように死の淵に立たされることが無くなるのだと自身を納得させる。

「お前のおかげで俺は運命と向き合う覚悟を持てた。感謝しているよ。本当にありがとう、モーナコ」
「ボクもですニャ。ワカ旦那さんと出会えたから、原生林からこんな遠くまで来て、たくさんのことを学べましたニャ。とっても楽しかったですニャ」

 決意を伝えた安心感からかモーナコが眠そうに欠伸をしながら目を擦ったので、ワカはモーナコの体を抱き寄せた。伝わってくる温もりに再びニャフと笑い、眠たげな声で告げる。

「ボク、小さい頃ハンターに助けてもらったんですニャ。巣から転げ落ちて、ハンターの前に姿を見せてしまって……。ハンターはボクらメラルーが大嫌いだから気を付けろって言われていたのに。でも、そのハンターは何もせずにボクを巣にそっと帰してくれたんですニャ」
「優しいハンターだったんだな」
「その出来事がきっかけでハンターに、人に興味を持つようになりましたニャ。巣にあった人の本を読んだり、原生林にやって来るハンターの言葉を聞いたりして、一生懸命勉強しましたニャ」
「それでお前、メラルーなのに人の言葉を」

 モーナコはオトモアイルーの教養を学ばずに育った野生のメラルーだ。だが独学で人の言語を学び、それが縁でワカのオトモアイルーになることができた。ワカと出会った当初から人の言葉を話せた理由は、この過去にあったのだ。
 好奇心旺盛な性格が起因してワカから様々な知識を譲り受け、こうして書士隊の護衛ハンターの一員として活動できたことを、モーナコは誇りに思っているだろう。だが、とうとうその道に終止符を討つ日が訪れた。

「お前は頑張り屋だよ。だから少しくらい休んだっていい。今は眠って早く怪我を治そう」
「ハイですニャ。おやすみなさいですニャ、ワカ旦那さん」
「おやすみ」

 すう、と息が吐かれると深い寝息が聞こえてくる。この尊い命を救うことができて本当に良かった。ワカはそう思いながら、眠るモーナコを抱きしめて目を閉じた。



「あの千刃竜が再び氷海に現れるかはわからないけど、今後のことも考えて全員が抗竜石を所持する必要がある。こんなこと、二度と起こしちゃいけない」

 我らの団ハンター、リンフィが解決した極限化セルレギオスの事件は当該モンスターの討伐で終息した。だが狂竜ウイルスは同じ縄張りにいた別のセルレギオスにも感染していたようで、それが未だ狂竜ウイルスに侵されたモンスターが存在する原因となっているようだ。

「ギルドには、せめて極限状態のことだけでも伝える義務があったと思う。遭遇したら即座に撤退しなくてはいけない相手だったんだ。今回のことは、僕も責任を感じているよ」

 ギルドの一員として、カゲはリククワのハンターが極限化モンスターに一方的に襲われることを防げなかったことを悔やんでいた。定期的に拠点を訪れていたことで、リククワの者たちに親しみを持っているのだろう。

「彼女に協力を頼もう。極限化したモンスターの討伐によく駆り出されているそうだし、情報を得ることで氷海に同じ脅威が迫っても応戦できるようにならなくちゃ。その過程で抗竜石を入手できればいいんだけど」
「サンキュー、カゲ。ここまで動いてくれると助かるぜ」
「僕、この拠点が気に入ってるからね。みんないい人だし、……」
「どうしたのじゃ、カゲ」

 カゲが不意にあらぬ方向を向いたので、ムロソが問いかける。少しの間じっとしていると、カゲは寂しそうに眉を下げた。

「あのメラルー、もう一緒に行けないって」
「行けないってどういう意味だよ! まさか、あいつ……!?」
「怪我は大丈夫だよ。ただ、オトモアイルーとして活動することを諦めたみたい」
「……カゲ、盗み聞きはいかんぞ」

 孫を叱るようなムロソの低い声にリュカでさえ体が一瞬強ばったが、カゲはその叱責を素直に受け入れる。どうやらワカとモーナコの対話を聞いたようだ。

「ごめんなさい。いつもは“閉じて”いるんだけど、意識が戻ったみたいだから。途中から個人的な話になったから、すぐに遮断したよ」
「お前の地獄耳って開閉式なのかよ?」
「表現としては、そんな感じ。僕だって聞こえる範囲の音を全て拾っていたら疲れちゃうから、調整しているんだ」
「……ふーん」

 地獄耳も万能ではないらしい。そんなカゲの耳は紅の髪に覆い隠されているので、リュカはおもむろに手を伸ばすが反射的に払いのけられた。驚きと怒りから赤紫の瞳がしっかりと開かれている。

「いきなり何するの!? やめてよ!」
「わ、悪い。耳がいいなら、でかかったり尖ったりしてるのかと思って」
「少しでも音が聞こえにくくなるように隠しているだけだよ。むやみに触れないでくれる? 無遠慮に体を触れられるのを嫌がる人もいるんだからね!」
「……本当にすまねえ」

 絞蛇竜に睨まれた鬼蛙のような構図にムロソはやれやれと息をつく。そして先ほどから気になっていた点を告げることにした。

「カゲよ、お前さんは一つ誤解をしておる」
「えっ?」
「モーナコは確かにメラルーだが、今はれっきとしたオトモアイルーじゃ。そこだけは改めてくれぬか」
「……彼の働きがリククワに貢献したことは事実だもんね。わかった、訂正する。モーナコは立派なオトモアイルー。雪森の言った通りだよ」

 ムロソには従順なんだなとリュカは密かに思ったが、リククワの長である上に竜人族だから敬っているのだろうと考え直した。
 報告内容と今後の目標が固まったところで、ムロソは解散と退室を促す。カゲを客人用の部屋に送った後でリュカは一人、外に出た。

「…………。」

 どっぷりと暮れた夜のリククワは静寂に包まれている。たいまつの明かりを浴びながら中心部に建っているクシャルダオラ像の足場に腰を下ろすと、リュカは白い息を吐いて星空を見上げた。
 イララの死、極限状態のセルレギオスの襲来、折れたジークムント、モーナコの離脱。一日の中で起こったことがあまりにも多すぎる。そして自分が全てにおいて何もできなかったことが悔しくて、リュカの拳に力が入った。

「……兄さん」

 兄の姿を見つけたのだろうか、イリスがマントを羽織ってこちらへ向かってきた。足場は二人ほど腰掛けられるスペースがあるので、端へ移動するとイリスが隣に座る。見上げると兄の大きな手がイリスの頭を優しく撫でつけた。

「お前、具合は」
「心配かけてごめんね、休んだから平気。それより、兄さんこそ大丈夫なの?」
「オレはなんとも無ぇよ。ベッドの上で寝てるあいつらの方が辛いだろ」
「怪我のことじゃない……こっち」

 イリスの白く細い手がリュカの胸にそっと触れる。その意味を理解したリュカの表情が強張った。イリスは、まるで自分が傷ついたかのような、辛そうな顔をしていた。

「襲撃の状況、まるで“あの日”に似ていたって聞いた。だから兄さんが苦しんでいるんじゃないかって」
「……何もできないまま仲間が倒れていく様を見るのは辛かった。けどよ、あいつらは生きてる。そこが決定的に違う」
「…………。」
「暴風野郎の時とは反対に、今度はオレがあいつらを助ける番だ。昔のことを思い出してうじうじしてる場合じゃねぇよ」
「そう、だね。兄さんは強いね」
「おうよ。お前の兄貴はこんなことじゃめげねぇんだ」
「頑張ってね、兄さん。私も皆さんの役に立てるように調査を進めるから」
「無茶するんじゃねぇぞ。またぶっ倒れてほしくないしな。さ、体が冷えないうちに中に入ろうぜ」

 立ち上がり、イリスの手を取る。寒空の下にずっといてはイリスの体調に響いてしまうだろう。会話を終えた兄妹が屋内に入ると、再びリククワに静けさが戻る。
 夜は更け、やがて日が昇り、リククワの歴史に新たな一ページが刻まれようとしていた。



 リククワの入口でリュカたちの見送りに立ち会えたのは、ムロソとユゥラ、イリスだけだった。これからリュカはカゲらギルドナイトの三人と共に我らの団ハンターのキャラバンを捜し、極限状態のモンスターについての見識を深めに向かう。

「イアーナたちのことは私に任せて。モリザやルシカと一緒に面倒を見るわ」
「モーナコのこともギルドに伝えるよう頼むぞ。新たに一員が増えるのであれば、ワシらも受け入れる体制を作らねばならん」
「兄さん、気を付けてね」
「ああ、行ってくるぜ」

 ユゥラとムロソの言葉を受け止め、リュカはしっかりと頷いた。リッシュが一足先に飛行船を待機させているため、四人は足早にリククワを立ち去る。
 リュカの背にはジークムントの代わりにつくられた【狼牙大剣[辺獄]】が背負われていた。一見細身の刀に見えるそれは抜刀することで赤い雷のような刃が刀身を縁取るように現れるギミックが施されている。【闇夜の赤黒雷】と呼ばれた、凍土で討伐したあのジンオウガ亜種の素材を用いた大剣だ。
 はじめはディーンの命を奪った因縁の相手の素材を使うことに躊躇いがあったが、氷海に生息するどのモンスターにも対応できるだろうとムロソに勧められ、手渡された。
 ムロソたちは四人の後ろ姿を見えなくなるまで見送る。これまでの出来事を振り返ったユゥラがぽつりと呟いた。

「クシャルダオラの二度に渡る襲来、極限状態のセルレギオスの出現……氷海に何か異変が起きている気がします」
「ユゥラ、お前さんもそう思うか」
「ええ。最近解読できた古文書の一部に不穏なものが見えましたし」

 ユゥラは亡きディーンが行っていた古文書の解読を引き継いでいる。イリスも時折手伝っているが、まだまだ読み解けていない箇所は多い。
 その膨大な難解の文字が羅列する古文書に何を見たのか。目線でそれを教えるように訴えると、ユゥラは静かに語った。

「部分的ではありますが、【白】【凍】【心】【火】【神】の文字が順に記されていることが判明しました」
「まだどんなモンスターについて書かれているかまではわかりませんが、白と凍の文字から寒冷地に潜むモンスターのことではないかと、私もユゥラさんも考えています」
「そうか……。まだまだ書士隊のやるべきことは山積みのようじゃな。引き続き解読を頼むぞ」

 四人の後ろ姿が完全に見えなくなったところで、三人も拠点へ引き返して行く。
 しんしんと降る雪は、二手に分かれた足跡をゆっくりと覆い尽くしていった。
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