狩人話譚

□ 銀白色の奇士[3] □

第27話 黒靄狂乱 前編

 巨大な影がこちらへ降りてくると判断したハンターたちは一斉に飛び退く。イララの亡骸に背をぶつけたワカが影の正体に驚きの声をあげた。

「セルレギオス……!?」

 突如空から降ってきたのは【千刃竜セルレギオス】。イララ同様に狂竜化しており、全身を黒に近い紫色のもやに包んでいる。だが、何かが違う。

「確かに刃鱗野郎で間違いは無ぇが、明らかに様子がおかしいぜ」
「あの色……イララと同じですニャ。けど、今まで見た狂竜化したモンスターよりもっとどす黒い色をしていますニャ」
「ワカ、すぐに緊急救助要請の狼煙を出して。あの子はまともじゃない、リッシュとイリスだけでも逃がさないと」

 全員が直感する、満ち溢れた狂気。ワカが狼煙をあげると同時にセルレギオスが飛びかかってきた。鋭い脚の爪を散ってかわし、体勢を整える。

「攻撃をしのいで援護が来るまで持ち堪えるんだ!」
「了解ですニャ、ワカ旦那さん!」

 救助要請の狼煙はバルバレギルド本部にも見える位置まで高く昇るが、氷海とは距離があるために援護のハンターが到着するまで時間がかかる。
 それでも援護を要請するほどの緊急事態だった。クシャルダオラ出現の際に救助要請を出さなかった結果、凍土でディーンを失った過去から全員が過敏になっていることもあるだろう。
 禍々しい煙を纏うセルレギオスの動きは狂竜化のそれと同じく、緩急の差が激しい。錯乱しているのか時折ハンターではなくイララの遺骸に飛刃を飛ばすこともあった。
 攻撃はせず、ひたすら受け流す。時間稼ぎはリククワの護衛ハンターが得意とする手法だったが、絶対防御は突然崩された。
 ナレイアーナを狙っていたはずのセルレギオスが、突然向きを変えてリュカに飛刃を放ったのだ。反応が一瞬遅れたリュカは咄嗟にジークムントを構えるもその一撃は強烈で、飛刃が弾ける反動に体が揺らぐ。

「ぐっ、う……な、何っ!?」

 セルレギオスは連続でリュカに飛刃を撃ち続ける。リュカの周りでいくつもの飛刃が炸裂し、バチンバチンと音が弾け鎧を掠めた。細かい刃鱗は裂傷を起こすほどではないが、全ての攻撃を受け止めたジークムントに異変が起き始める。

 ――ピシリ。

「リュカ!!」

 異変に気付いたワカが叫びながら駆け出す。赤い光を放つジークムントの刀身にヒビが入ったのが見えたからだ。何度も同じ箇所を狙われたことで耐久力が落ち、限界を突破されたジークムントが悲鳴をあげたに違いない。だが飛刃の連打は止まらず、そして……。

「がっ……!」

 バキンと大きな音が氷海に響き渡る。後方へ転がったリュカは右腕にかかる重みが急激に軽くなったことに血の気が引いた。起きあがって、おそるおそる右側を見る。

「マジ、かよ」

 声と同じく震える右腕の先、握りしめていたはずのジークムントの刀身が中心部を境に真っ二つに折れていた。赤く点滅した光も失われ、まるで命の灯火が消えたかのようだ。
 そして折れた先の刃はリュカの後方で宙を舞ってイララが暴れた際にできた穴へ落ち、氷海の底に沈んでいく。リュカの刃と盾が消失した瞬間だった。
 絶望感に打ちひしがれたリュカの目の前にセルレギオスが迫るが、ワカがその身を掴み飛んだことで攻撃を回避する。

「リュカ、しっかりしろ! 今は生き残ることだけを考えるんだ!」

 肩を強く揺らし、叱咤する。リュカの瞳に喪失しかけた戦意が戻るが、セルレギオスはなおリュカを狙う。ワカは覚悟を決めてブルートフルートに手をかけた。
 セルレギオスの右後方へ飛び、右回しに振るって頭部を狙う。頭が高めの位置にあっても狩猟笛特有のリーチで捉えることができる、ワカの得意な一撃だ。

(硬い!?)

 しかし、突然セルレギオスが振り向いたため首に当たり、まるで岩のように硬い鱗が攻撃を阻む。狩猟笛の重みをそっくり返され、よろめく。

「心眼の旋律は切れていないはずなのに、何故……!」

 狩猟笛の基礎旋律、【自己強化】。その旋律を重ねがけすることで、どんなに硬い肉質の部位であろうと芯を打てる【心眼】の効力を得ることができる。
 ところが、このセルレギオスには通じなかった。狂竜化したことで肉質が急激に変化したのかもしれないと考えた直後、セルレギオスの鳴き声を聞いたワカは思考を即座に遮断する。

「危ないっ!」

 セルレギオスが高く飛び上がると同時にリュカを突き飛ばす。ワカは、あの鳴き声が獲物を捕らえる時に出すものだと知っていた。リュカを標的から外そうと身を挺した行動だったが、それが更に窮地を引き起こす。

「ワカ旦那さん!!」

 一陣の風が吹くと同時に、リュカの目の前からワカが消える。モーナコが上空へ向けて叫んでいるのにつられて空を見上げると、セルレギオスの脚に捕らえられたワカの姿が見えた。セルレギオスはそのまま翼をはためかせ、エリア1へ飛んで行く。

「リュカ、何ぼんやりしてるのよ! このままじゃワカが死ぬわ、急いで!」

 ワカが死ぬ。その言葉を聞いてようやくリュカの全身に力が入る。『あんなこと』は二度とごめんだ。その気持ちが体を衝動的に突き動かした。
 真っ先に駆けだしたモーナコ、そしてナレイアーナを追いリュカも走る。その背には刀身が半分だけになったジークムントが担がれていた。



 エリア1の中央部でセルレギオスがワカを地面に押さえつけていた。今にも啄みそうな動作にナレイアーナは麻痺弾を撃つが、それもまた弾かれる。
 攻撃を受けたことで警戒心を強めたセルレギオスが再び宙に舞い上がった。脚の中に閉じこめられたままのワカも脱出しようと唯一解放されている右腕を動かすが腰ポーチには届かず、更に体を締め付けられる痛みに呻き声が漏れる。

「ワカ旦那さん! ワカ旦那さん!!」
「落ち着いてモーナコ、アンタはシビレ罠を仕掛けて。リュカ、閃光玉であいつを落とすわよ!」

 上空で苦しんでいるワカを見て動揺するモーナコをナレイアーナが諫める。ナレイアーナも冷静ではないと自覚しているが、自分だけでもしっかりしなくてはと気を強く持っていた。
 セルレギオスの真下、影の中でモーナコがシビレ罠を仕掛ける。空中で暴れているためセルレギオスの視界が定まらないが、二人がかりで閃光玉を使えば成功する確率は上がるはずだ。
 リュカとナレイアーナは別々の場所へ閃光玉を同時に投げた。光蟲が目映い光を放つ瞬間、ナレイアーナはセルレギオスが自分が投げた方向に顔を向けているのを確認する。これなら確実に落ちると思っていた。

「嘘、失敗したの……!?」

 ところが、目を覆っていた腕を避けるとセルレギオスは変わらず空中にいた。何事も無かったかのようにセルレギオスは翼を広げると脚を大きく引き、蹴り上げるようにワカを氷の壁へ投げ飛ばす。
 受け身を取れなかったワカは背中を強く打ちつけ、ずるずると体を滑らせると壁に背を預け動かなくなった。ごほ、と咳をしたマスクが赤く染まる。

「ワカ旦那さん、すぐに助けますニャ!」

 モーナコが回復笛を天に掲げる。意識を集中させ、効力のより強い【真・回復笛の術】を奏でようと目を閉じた。
 モンスターの前で無防備な姿を晒すことになるが、モーナコは主を助けたい一心でこの行動に出たのだ。モーナコの手前にはシビレ罠が仕掛けられており、近づけば確実に罠にかかる。シビレ罠を仕掛けた先で笛を吹き、モンスターをおびき寄せるのは常套手段だった。
 プアップアー、と音が響きリュカたちの傷が癒される。同時に地を這いながら突き出されたセルレギオスの尖爪が、シビレ罠を破壊しながらモーナコの小さな体を深く抉った。

「ニャアアァッ……!」

 それは断末魔のような、悲しい叫びだった。軽い体が宙で何度も回り氷の大地へ叩きつけられると、うつ伏せに倒れた体から赤いものがドロドロと流れ出す。その様相は狩人たちの脳裏に最悪の結末を過ぎらせた。

「モーナコ、そんなっ」

 惨劇の瞬間を目の当たりにしたナレイアーナの心に、とうとう隙が生まれる。セルレギオスが尾を振るい飛刃を弾き飛ばすと、彼女の腹部に刃鱗が突き刺さった。短い悲鳴をあげて倒れた体をリュカが慌てて起こすと、ナレイアーナは右手で腹部を押さえて顔を歪めている。

「どうした!?」
「飛刃が、お腹に……」

 セルレギオスの飛刃による裂傷の恐ろしさはワカが証明している。左頬に残る傷跡は、セルレギオスの飛刃によるものだ。ワカは頬の肉が一瞬で大きく裂けた衝撃で気絶し、治療に一週間以上の時間を要した。それが腹部で起これば、内臓は大きな損傷を受けてしまうだろう。
 ナレイアーナから下手に体を動かせないことを示唆されたが、モンスターの目の前でじっとしていることなど不可能だ。増してや、あの暴れ狂うセルレギオスからなど。

「リュカ、アンタだけでもベースキャンプに戻って……! どうにかギルドに伝えないと……」

 痛みに歯を食いしばるナレイアーナの微かな声を聞きながら辺りを見回す。氷の壁に寄りかかってうな垂れるワカ、血だまりに沈むモーナコ、そして身動きがとれないナレイアーナ。パーティは全滅だ。このままセルレギオスがベースキャンプへ向かえば、リッシュとイリスも巻き込まれてしまう。
 幸いにもセルレギオスは背を向けたまま威嚇している。動くなら今しか無いだろう。だがそれは三人を見殺しにすることと同然だ。目の前の光景はリュカに数年前の記憶を重ねさせ、ある思いを奮起させる。

「悪い、イアーナ。オレだけ生き延びるなんてできねえ」

 そう言うとナレイアーナの体をそっと下ろし、腰に付けられているベリオロスの棘で作られた投擲専用の短刀を抜き取る。投げナイフ程度の微力な隠し武器だが、ジークムントが使えないこの状態では唯一の刃だ。

「これ以上、目の前で誰も死なせたくねえんだ。そのためならオレは足をもう一本くれてやってもいい」

 突風が吹き荒れる。ナレイアーナには、リュカが深い悲しみを背負い込んで立っているように見えた。



 ベースキャンプではリッシュが甲板で一人、荒風になびく空色の髪を押さえながら氷海を睨んでいた。緊急の救助要請の狼煙が上がったことでリュカたちに大変な事態が起こっていることは理解している。だが、リッシュはハンターたちがここへ戻るまで待つと決めていた。たとえ被害を拡大させないために狼煙が上がって十五分以内に船を出し撤退しなければならない規則があろうとも。

(イリスは突然倒れてしまうし、この風……まるで、クシャルダオラが現れた時のようですね。皆さんは大丈夫なのでしょうか)

 狼煙が上がってすぐに、イリスに異変が起こった。具合が悪いと話すとフラフラと船室へ向かい、ベッドで眠ってしまったのだ。それから少し経ち、この風が吹き荒れるようになった。以前ほど顔色は悪くないが、ひどく疲れている様子のイリスは船室で休ませることにし、リッシュは限界までハンターたちの戻りを待つ。
 もし凶悪なモンスターがここへ来てしまったら。それでもリッシュは護衛ハンターを置いて戻りたくない気持ちが上回っていた。その時、背後から風を伝い波を切る音が聞こえてくる。
 振り返ると、一隻の船が向かって来ていた。船を停泊させるや否や、ハンターたちが飛び出す。見覚えのある頼もしい三人の顔に気を張っていたリッシュの表情がくしゃりと歪み、縋るような声を絞り出す。

「お願いです。皆さんを助けてください……!」
「僕らに任せて、全員連れて帰ってくるから」



 ベリオXフォールドに装着されている短刀は六本。一本目は翼爪甲で弾かれ、二本目は後ろ脚に突き刺さった。三本目を手にしたところで、右側の短刀の最後だと気が付く。

「部位によって弾かれるところがあるみたいだな……チッ、ジークムントさえあったら……!」

 短刀を投げてセルレギオスの気を引きながら、少しずつエリア2の方角へ後退していく。三人をセルレギオスから遠ざけて、自分一人で時間を稼ぐために。
 勢いよく突き出された後ろ脚の爪を避けるが、左腕を掠めた。流れ出す血の臭いに舌打ちをした直後、ふわりと何かが舞い腕の傷を瞬時に癒した。生命の粉塵だと直感したが、効果がそれよりも強い。まさかと壁際に目を向けると、体を起こしたワカが草色の小袋から粉塵を撒き散らしていた。セルレギオスもそれに気が付くと、ワカに近づいていく。

「テメェ、待ちやがれ!」

 脇を抜けるセルレギオスを止めようと食らいつくように短刀を尻尾の先端に力強く突き刺す。ここで初めてセルレギオスが怯み、その隙に再び倒れたワカの元へ急いだ。

「大丈夫か、ワカ!」
「…………。」
「おい、しっかりしろっ!」

 肩を揺さぶるも反応は無い。一時的に意識を取り戻しただけだったのか、わずかに開いていた金色の目は閉じられ、握力を失った手から【生命の大粉塵】の入った袋が滑り落ちた。残りの粉塵がサラサラと突風で舞い上がり、リュカたちの傷を癒していく。モーナコにも効果があればいいのだが。

「……オレはまだ、諦めちゃいねぇぞ」

 背後から迫る黒い殺意。ワカと氷の壁を背に、リュカは左側に付けられた短刀を抜く。もう一度エリア2へ誘導しなければ。ジークムントを失っていても、アイスブルーの瞳に灯る闘志は消え失せていない。

「だめよ、リュカ……!」

 ナレイアーナがゆっくりと腕に力を込める。腹部が痛むが、仲間が危機に晒されている光景をただ見ていることなどできない。
 だが、その行動を優しく引き留める声が聞こえた。

「動かないで」
「……えっ?」

 三つの風が、駆け抜けて行った。
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