狩人話譚

□ 銀白色の奇士[3] □

第22話 一年越しの永別 前編

 リククワから少し歩いた先の海岸から船に乗り、氷海のベースキャンプに着くまでの所要時間はおよそ十分強。リッシュが操作する船しか見かけることの無い冷たい海の上を、意外な乗り物が渡っていた。
 小タルを繋げて造ったイカダは四人のアイルーを乗せ、風に身を委ねて氷海を目指していた。潮風を浴びながら、シフレはイカダに乗り合わせた同胞に尋ねる。

「みんな、旦那さんに内緒で来てしまったけど本当に大丈夫ニャ? 心配するんじゃないニャ?」
「エイドは放っておいても平気ニャ。寧ろ今頃ワカ坊とイチャイチャしているから、ボクのことは忘れてるニャ」
「ボクも同じですニャ。ワカ旦那さんとエイドさんと二人きりにしてあげたいから平気ですニャ」
「そうなのニャ……ありがとうニャ」

 申し訳なさそうに頭を下げるシフレを見て『そんなにかしこまる必要は無いニャ』とエールが彼女の肩を軽く叩く。そして後ろに鎮座するアイルーにも声をかけた。リククワの住人ではない、突然同行を申し出た外部のアイルーだ。

「キミはどうなのニャ。あの糸目のギルドナイトが旦那さんじゃないニャ?」
「聡明な旦那なら僕の行動も理解してくれるはずニャ」

 そのアイルーは【ユキモリ】と名乗った。漆黒の胴着、ナルガSネコ装備メイルに袖を通した腕は雪のように真っ白で、細められている目は糸目のギルドナイトことカゲに瓜二つだ。オトモアイルーが主に似た顔つきに成長すると聞いたことはあるが、本当によく似ているとモーナコは思う。

「君たちが目的を穏便に果たせるよう同行することを決意したニャ。僕がいるからには安心してほしいニャ。峯山丸に乗ったつもりでいてほしいニャ」
「そういうことを言うヤツは、実際のところダメダメなのが定石ニャ」
「そんな不評をひっくり返すほどの実力を持つのが僕なのニャ」

 冷ややかな視線でエールが言い放ったがユキモリは胸を張っており、まったく気にしていないようだ。初対面のエールは知らなくて当然だが、このふてぶてしさもカゲに似ているとモーナコは心の中で類似点を追加した。
 一層冷たい風を感じたシフレが顔を向けると遠くに見えていた氷海の山々が間近に迫っていて、穏やかだったはずの心がざわめきだした。



 ベースキャンプに到着したが、依頼を受けたハンターが訪れることを想定して、船舶するであろう箇所を避けた場所にイカダを停める。
 見上げれば氷の山が構えており、リュカのオトモアイルーとなってからはリククワの外に出ることすら稀だったシフレの目には、とても懐かしい光景に映った。
 何も装備しないのはまずいだろうとモーナコからレックスSネコシリーズを借りて身につけたシフレの立ち姿はピンとしている。彼女もかつてはハンターと共にモンスターと戦ったオトモアイルーだったのだと誰しもが納得した。

「氷海……本当に、懐かしいニャ」

 白い息と共に呟いた声は、どこか悲しそうだった。シフレがここを訪れたい目的を唯一知っているモーナコがシフレの手をとり、ぎゅっと握る。

「シフレ、行きましょうニャ。ずっとずっと心の底で願っていたことを叶えるのは、今ですニャ」
「……ニャ」

 小さく頷き、先にエリア1へ向かったエールとユキモリを追いかける。大型モンスターの気配は無い。シフレはゆっくりと歩を進める。行きたいような、行きたくないような、そんな気持ちを抱きながら向かった先はエリア5だった。
 エリア5は天井から何本ものつららが生えている洞窟で、氷の壁と岩の壁が半々に分かれているのが特徴だ。

「…………。」

 三人はシフレが無言でゆっくり歩くのを見守る。シフレは薄暗い壁際へ歩いていき、地面に埋もれた何本もの巨大な骨が剥き出しになっている場所で止まった。
 そこはシフレにとって特別な場所だった。屈むとゆっくりと頭を垂れ、うずくまるような姿勢になる。厳かな儀式のような動作だった。

「旦那さん……」

 溜め込んでいた思いを吐き出すような声が地面へ吸い込まれていく。その言葉を聞いたエールとユキモリは、不思議そうに顔を見合わせた。二人はシフレの過去を知らないからだ。
 そんな二人にモーナコが小声でシフレ一人にさせることを提案した。ここには我関せずと動き回るオルタロスが数体徘徊しているだけだ。なにより、シフレだけにしてやることが重要だった。

(シフレ、乗り越えてくださいニャ。“元”旦那さんとの本当のお別れを)

 考えたくはないが、自分もいつか迎えてしまうかもしれない『その時』を経験してしまった同胞の心の傷が少しでも癒えるよう願い、モーナコは目線を冷気が渦巻くエリア6へ向けた。採取でもしながら二人にシフレの過去を打ち明けようと思いながら。



 シフレはハンターの良き相棒となるオトモアイルーを育てる施設に生まれた。垂れた耳と先まで丸い太めの尻尾が特徴の、大人しいが真面目なアイルーだった彼女はオトモアイルーの極意を学び、やがて一人の女性ハンターに雇用される。後ろに結われた明るめの茶髪と青色の瞳、頬に施された赤いフェイスペイントが印象的だった。

「はじめまして、よろしくね」
「旦那さん、ワタシに名前をつけてほしいニャ」
「名前? うーん、そうだなあ……【シフレ】。シフレってどうかな」
「シフレ。嬉しいニャ、ワタシだけの名前ニャ」
「これから一緒に頑張ろうね、シフレ」

 女性ハンターはハンターになりたての新人だった。それはオトモアイルーになったばかりのシフレも同様で、二人は同じ新人、女性ということもあってすぐに打ち解け、まるで親友のように共に行動した。
 やがてハンターは徐々に腕を上げて上位試験にも合格し見事上位ハンターになった。その夜はシフレと共に豪勢な食事をとり祝杯をあげたという。

 だが、別れは突然訪れた。

 氷海でザボアザギルの討伐依頼に挑んだある日。ザボアザギルを瀕死まで追い込んだが、隙を突かれて凍結ブレスに腹部を貫かれた。態勢を立て直そうとエリア5へ逃げ延びたが、ハンターは力尽き岩壁の傍で崩れ落ちた。
 ホットドリンクを飲んでいるにも関わらず全身を冷気で包まれる感覚に死を覚悟したハンターだったが、涙を目いっぱいにためこんで心配しているシフレが視界に入ると最期の力を振り絞って口を開く。

「シフレ、君を解雇する。そして今すぐここから逃げて。ザボアザギルを仕留めたかはわからない。もし生きていたら次はシフレが狙われちゃう。いい? 振り向いちゃ駄目よ。途中でこっちを見たら許さないんだから」

 傷だらけの顔でそう笑い、『行きなさい』と強い意志を込めた言葉を紡ぐ。ハンターの発言の真意を感じ取ったシフレは全身をわなわなと震わせたが、こぼれる涙を断ち切るように目を強く瞑ると背を向けて駆けだした。

 約束通り、シフレは一度も振り向かずに氷海を後にした。

 ハンターがどうなったのかはわからない。だが、この傷では助からないと自覚したハンターは果てる前に自分を解雇したのだと理解した。あれが彼女との今生の別れだったのだ。
 主の死を見届けるべきだったのでは、主の代わりにザボアザギルを討伐するべきだったのでは。シフレはずっと自分の行動が正しかったのか悩み続けていた。どこに答えがあるのかもわからず、宛もなく各地のネコの巣を転々としていた。
 それから数ヶ月後、シフレは地底洞窟で一人の男性ハンターと出会った。イビルジョーと対峙していたらしい彼は罠を欲していたので、山菜爺さんが小金魚と携帯シビレ罠が交換できることを教えた。主が教えてくれたことの一つだった。

「ありがとう、助かるよ」

 その笑顔が主と重なったのは、同じガララシリーズを身につけた狩猟笛のハンターだったからだろう。シフレは、オトモアイルーとして生きる道しか知らない。自分をスカウトしてもらえないかと依頼を終えたハンターを追ったのだが、彼の隣にはメラルーの毛並みをしたオトモアイルーがいたため諦めざるを得なかった。



 更に数ヶ月の時が流れ、気が付いたら再び氷海を訪れていた。だが主と別れを告げたエリア5には足を踏み入れることができなかった。既に遺体は回収されているだろうが、最期に聞いた言葉が耳から離れない。

(途中でこっちを見たら許さないんだから)

 日常で見せていた、いたずらっぽい笑みで彼女はそう言った。血と氷にまみれた姿だったが、それでも彼女は笑ったのだ。エリア5に行くことはそんな彼女との最期の約束を破ってしまう気がして、シフレはネコの巣で静かに暮らすことを自らに強いた。
 だがどうにも落ち着かない。明日にはここを発とう。そう思っていた昼下がり、モンスターの咆哮が聞こえた。ハンターがモンスターの狩猟に挑んでいるのだろう。耳を澄ますと風が人間の言葉を運んでくる。慌てているような、男女の必死な声だった。

「何してやがる、起きろ! おいっ!」
「急いで! 閃光玉の効果も長くはもたないわ、早くベースキャンプに連れて行って!」
「わかってるけどよお! こいつ、裂傷だけのはずなのに気絶しちまって……!」

 どうやらハンターの誰かが負傷したようだ。今の自分は野良アイルー、ハンターの狩猟に力を貸すことなど無意味なのに、何故かこの時だけは体が自然と動いていた。
 隣接するエリア1に向かうと、金色の鱗に覆われたモンスターが閃光玉に視界を焼かれた痛みで暴れまわっている。そこから少し離れたところで、負傷したハンターを担いで撤退しようとするハンターの姿が見えた。
 負傷したハンターは意識を失っており、左頬を血がどろどろと伝っていて見るからに痛々しい。その顔と出で立ちに見覚えがあった。地底洞窟で会った、あの狩猟笛のハンターだ。倒れている主の姿が脳裏を掠め、シフレは心臓がドクリと強く脈打つのを感じた。

(このままでは、みんなモンスターにやられてしまうニャ!)

 金色の鱗のモンスターが視界を取り戻したようで、ハンターたちに視線を向けている。シフレは一気に距離を詰めるとカブレラネコソードをブーメランのように放り投げた。大型モンスターと対峙したのは久しぶりだったが、カブレラネコソードはモンスターの背に命中した。
 モンスターの意識がこちらへ向き、その隙に別のハンターがこやし玉をぶつけたことでモンスターを追い払うことに成功する。これで安全にハンターをベースキャンプへ運べるはずだ。
 どうにかあのハンターを助けてほしい。自分には主を救うことができなかった。だから、せめてあの人だけは。そう願ってシフレはネコの巣へ戻ろうとしたが、そうはさせまいと一人のハンターがシフレの手を掴んだ。

「待ちなさいよ。功労者が何も言わずに立ち去るなんて、アタシは嫌だわ。きちんとお礼がしたいもの」

 それから彼らの拠点へ案内され、負傷したハンターの看病をした。唯一オトモアイルーと契約していないハンターと絆を結ぶことでシフレは拠点【リククワ】の一員となり、日々を過ごしている。
 氷海で主を失い、新たな主と出会う。シフレは、この一年に起きた邂逅に不思議な縁を感じた。

「旦那さん……ワタシ、戻ってきたニャ。約束、破ってごめんなさいニャ。でも、本当はずっとずっとここに戻りたいと思っていたニャ」

 今までのことを思い出しながら、一年前にここで倒れていた主の幻を覆い被さるような姿勢でシフレは独白を続ける。主のことを忘れなかった日は無い。だが、ある出来事がきっかけでこのままでは良くないと思うようになった。

「ディーンさんがいなくなって、みんな悲しんだニャ。だけど、しっかりとお別れをして、支え合って、立ち上がったニャ。その時に気付いたニャ。ワタシ……旦那さんと、ちゃんとお別れできていなかったニャ。約束は守ったけど、ワタシの中で後悔が残っていたニャ。だから旦那さん、ここでワタシは旦那さんとお別れをするニャ。そして今の旦那さんについて行くニャ」

 さよならニャ、旦那さん。大好きニャ。

 そう心の中で呟いた瞬間、シフレは心の中に大きな穴が開いた感覚がした。前の主は死んだ、どこを捜したって存在しない。これが『死』なのだと、シフレはようやく大切な人の死を受け入れた。
 ディーンを深く愛していたユゥラが感じた痛みは、これ以上に悲しいものだったのだろう。目の前で死を見たワカのそれも、これ以上に重いものだったのだろう。憔悴していた二人の顔がシフレにここを訪れる覚悟を決めさせた。
 もしかしたら、などと現実から目を逸らしていた自分は、ひたすら重く圧し掛かるこの悲しみから逃げていただけなのだ。

「ニャ……ニャ、ニャウウゥ……ニャアアアアアッ!」

 主と離れてから久しく流していない涙が堰を切ったかのように溢れだし、シフレは心を締め付ける痛みにひたすら声をあげる。しばらくの間、悲しみの咆哮は洞窟内に響いていた。
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