狩人話譚

□ 銀白色の奇士[3] □

第21話 夢の随に漂う 後編

 額に冷やした布を乗せられると、眠っているワカの表情が心なしか柔らかくなった。同じことを考えていたのか、ユゥラは安堵の息をもらしたエイドの背に手を当てた。

「だいぶ疲れがたまっていたみたいね」
「あの……ワカにいちゃん、大丈夫なんですか」
「熱は高いけど、ハンターの体力なら休んでいれば回復できるから心配いらないわ。……ちょっと前に、何日も寝ていない状態が続いていたの。睡眠不足は解消できたようだけど、それでも疲れは完全に取れなかったようね。そこへエイドが来て、一気にガタがきたみたい」
「えっ、アタシが……?」

 自分が来たことがワカに悪影響を与えてしまったのか。驚愕に染まったエイドの顔を見てユゥラが『違うの』と慌てて首を横に振った。

「言い方が悪かったわ、ごめんなさい。心から信頼できるエイドが来てくれたことでワカは安心したのよ。だから疲れが出たんだわ。エイドが来なくても、いずれ限界がきていたと思う」

 隈は消えているが、あの時のワカの顔をエイドが見ていたら間違いなくショックで泣きだすだろう。それほどエイドがワカを想う優しい女性であることをユゥラは見抜いていた。

「こうやって無茶をするところ、あの人にそっくり。エイド、離れていて不安でしょうけど、できる限りワカを支えてあげてね」
「……はい」

 『あの人』と亡くなった夫を話題に出され、エイドの表情が曇る。いつかはユゥラと同じ、悲しい道を辿るかもしれない。夫の死を乗り越えた目の前の女性がとても強く見えた。

「看病を任せていいかしら」
「はい。あの、キッチンを借りてええですか」
「今は誰も使っていないから、いいはずよ。モリザに話を通しておくわ。それと熱冷ましの薬を調合しておくから、食事の後に飲ませて」
「ありがとうございます」

 ベッドで眠るワカを見やる。一緒に狩りをしていた頃、風邪をひいたことが無いと聞いたことがある。寒さに強いはずの体が風邪をひくほど弱ったのは当人にとって初めてなのだろう。

「早く元気になってね、ワカにいちゃん」



 一方、カゲはリククワを取りまとめるムロソの部屋を訪れていた。森に現れた謎のハンターについて報告をするためだ。

「恐らく、あの狩人はこの辺に人が住んでいないと踏んで訪れたんだと思う。目的はモンスターの惨殺、もしくは密猟。美月と恭に周囲を巡視させているけど、ワカたちと遭遇したことで警戒して二度とこの地には現れないんじゃないかな」
「そうか、ギルドにはしっかりと伝えておいてくれ。モンスターの頭部を原型を留めぬほど潰すなど正気の沙汰ではないからの」
「もちろん。それじゃ、僕はこれで」

 椅子に座ったままお辞儀をするとカゲが立ち上がる。その背をムロソは懐かしむような声で引き留めた。

「大きくなったの、シラトの子よ」
「……覚えてくれていたんだ、“ムロソ様”」

 少しの間を置いて、カゲは再びムロソと向かい合った。まるで以前から知り合いだったかのような返答をしながら。

「お前さんのような子を忘れるわけがなかろう。十年ぶりじゃったか?」
「……二十年、かな」
「そうか、ここまで長かったのう。して、ギルドナイト稼業の傍らで家族を捜しておるのじゃな?」
「手がかりは何も無いけどね」
「まだ始まったばかりじゃ、諦めるでないぞ。お前さんとはまったく違う人生を歩んでいるかもしれんが、いつか再会できることを祈っておるよ」
「……うん、これからも捜し続けるから」

 そう言って笑った『十六歳』の少年の背を押してやるように、ムロソは優しい笑顔で頷いた。



 ……眩しい笑顔を見せる少年がいる。サラサラと煌めく金髪の持ち主の顔に傷跡は見られない。様々な傷跡がついたのはあれから何年の年月を経た後だろうか。
 少年は俺を見据え、大きな声で喋りながら近づいてきた。故郷以外で初めて会った人、それも同世代の、同性の相手。だけど全てを失って孤独に怯えていた俺には、その接触さえも怖かった。

 これは、子どもの頃の記憶か。

 ジンオウガ亜種によって凄惨な姿へ変貌を遂げた村の光景を目の当たりにした後のことはほとんど覚えていない。気が付いたらポッケ村に身柄を保護されて、その後は雪山を下りた先の孤児院へ引き取られた。
 初めて村の外に出た。雪の無い大地、暑さすら感じる日差し、多くの人間。外部の人間とどう接していいのかわからなかった。だからひたすら一人で本を読んでいた。
 孤児院を仕切る老婆は隅っこで縮こまる俺を心配していたけど、他にも多くの孤児がいたから手が回らなかったようだ。それでいい。俺と関わっても、碌なことは無いだろうから。

 ――なあ、おまえ、なまえなんっていうんだ?

 少年はそう聞いてきた。正直、怖かった。幼いながらに故郷の起源を理解していたため、俺がどこの人間かと知られたら嫌われるのではないかと。どう返事をしたらいいのか迷っていると、金髪の少年の背後から黒髪の少年が声をかけてきた。

 ――そんないいかたじゃ、こわがらせるだけだ。はなしをしよう、ボクらはキミとともだちになりたい。

 そう言って黒髪の少年は手を差し伸べた。恐々とその手を握る。両親が俺のそれぞれの手を握ってくれたことを思い出して涙が出た。そんな俺を誰かが背後から優しく抱きしめる。顔を上げると赤い髪を肩まで伸ばした少女がにこりと笑った。

 ――私たちと家族になろう。一緒になろう。

 温もりに包まれながら頷く。この日、初めて兄弟ができた。
 本当の年齢はわからないけど、一番上が【ミサ】、二番目が【フェイ】、三番目が【リウ】、そして末っ子が俺。髪の色も肌の色も異なる四人。何をするにもいつも一緒になった。
 家族になって少し経った時、フェイ兄に目を覆い隠すように伸ばしている前髪を指摘された。曰く『表情が見えなくて嫌だ』と。
 どうして前髪を伸ばしているかは話していない。話す必要も無いだろう。好きな女の子に瞳の色が嫌いと言われ隠すようになっただけなのだから。後にそれは負けず嫌いによる感情の裏返しだったと墓前で彼女の仲間から知らされることになったが。
 だけど当時はこの瞳は他人に好かれない色だと思っていた。そのため必死にフェイ兄の詮索を避けた。あまりにも抵抗するからどうして言うことを聞いてくれないのだとフェイ兄がリウ兄に泣きついていたのを覚えている。しっかりと目を合わせて話をしたいのに、と。
 どうしようと困っていると、ミサ姉が俺を森へ連れ出してくれた。そして、日を浴びて青々と茂る草木に囲まれた中でこう言った。

 ――誰にだって知られたくないことはあるわ。だけど君は私たちの大切な弟だから、絶対に嫌いにならない。

 その言葉に強ばった体から力が抜けて、心が落ち着く感覚がした。
 フェイ兄は捨て子だと聞かされた。リウ兄はどこかの盗賊に浚われ、保護されたらしい。だけど、ミサ姉は一人でどこからかやって来たという。子どもだがとてもしっかりしていて、みんなのお姉さんだと老婆はミサを誉めていた。
 そんなミサ姉ならと思い、前髪を上げた。黒土色のフィルターを外した世界はとても鮮やかで、深紅の髪とマゼンタ色の瞳が視界いっぱいに広がった。ミサ姉がこの金色の目をじっと見ている。嫌いな色ではないだろうか。

 ――嫌いな色なんかじゃないわ。すごく明るくて、綺麗。お月さまみたいよ。

 まるで心を読むかのようにミサ姉は笑ってくれた。前髪を上げていた右手を下ろして、見慣れた視界に戻す。俺をあやすように頭を撫でると、今度はミサ姉が長い髪をかきあげた。

 ――君が秘密を教えてくれたから、私も見せてあげる。このことは、二人だけの内緒ね。

 そこで見たものは二人の兄には話していないし、他の誰にも教えたことは無い。誰にも知られてはいけないことなのだと、今も自分の心の中に閉じこめている。
 遠くでフェイ兄が昼食の時間になったと大声で呼んでいる。それを聞いたミサ姉は俺の手を引いて、帰ろうと言った。孤児院に近づくにつれて、いい匂いが漂ってくる。それはとても温かい、家庭の匂い――。



「ワカにいちゃん、目ぇ覚めたんやね」

 まどろむ意識が鮮明になるにつれて、長い夢を見ていたのだとワカは自覚した。ベッドの脇でエイドがトレーに乗せた食事をテーブルに置く。おもむろに右手を挙げるとエイドがその手を握り、頬をすり寄せた。

「スープをつくったんやけど、食べる?」

 上半身を起こすとエイドがスープの入ったお椀を両手で包み込んで見せてくれた。星や花びらの形に切られたニンジンなどの野菜の他にユキヤマツタケ、ヤングポテト。それらの下には柔らかくした大雪米が沈んでいる。バルバレにいた頃に何度もご馳走してくれた、エイドの故郷に伝わるスープだ。

「少しでもいいから食べてほしいんよ。お薬もあるから」
「ありがとう。いい匂いだ、食欲がわいてくる」

 木製のスプーンを受け取り、スープを口に流し込む。記憶しているものより味付けが薄いのは体調を崩した自分に気を遣ってくれたのだろう。エイドの優しさが身にしみる。

「おいしい?」
「ああ、おいしいよ。久しぶりに食べられて嬉しい」

 ワカにしては珍しくへにゃりと力の入っていない笑みを見せられ、エイドは思わずワカの額に手を当てた。熱い。

「ワカにいちゃん、お薬飲も」
「待ってくれ、全部食べてから……」
「食欲がしっかりあるのはいいことやね。食べられるだけ食べて」

 最後の一滴まで飲み干しユゥラの調合した薬を飲んだところで眠気が襲ってきたのか、横になってありがとうと伝えると深い寝息が聞こえてきた。あまりの寝付きの良さに控えめに笑う。ワカの眠りは深いため、多少うるさくしても起きないが。



 エイドがキッチンへ食器を運ぼうと部屋を出ると、何かを探しているようにキョロキョロと見回しているカゲを見つけた。困っているようだったので思わず声をかける。

「どうかしたんですか?」
「僕の相棒がいないんだ。あいつだけじゃない、君の相棒も失踪していると思う」
「えっ、エールが?」

 そういえば、いつから姿を消していたのだろう。ワカの看病に躍起になっていてすっかりエールの存在を失念していた。とはいえエールは大人の女性だ、迷惑がかかるような行動はとらないはず。

「モーナコちゃんもいないん?」
「そういえば、そうだね……ねえ、そこの君たち。何か知っているでしょ」

 カゲが廊下の曲がり角へ向けて話しかけると、見つかったと観念したのか様子を窺っていたらしいアイルーたちが姿を現した。桜色のアイルー、アイと若草色のアイルー、ハリーヤ。ばつの悪そうな顔をしていることから、良からぬことが起こっているようだ。

「…………。」

 マゼンタ色の瞳が困惑しているアイとハリーヤの目をじっと見つめる。二人の思惑を感じ取ると、蛇のような目を驚きで丸くさせた。

「信じられない、まさかあいつがそんな行動をとるなんて」
「エールがどこに向かったのかわかったん?」
「リュカの相棒と一緒に氷海へ行ったよ。モーナコも一緒。僕の相棒もついて行ったみたいだ」
「ニャッ!? アタシたち何も話していないのに、シフレたちの行き先がバレてるニャ!」
「アイ、その反応じゃますますバレちゃうニャー」

 身を寄せ合い驚くアイルーたちをよそに、どうしようかとカゲは腕を組んで考える。やがてため息をつきながら首を横に振った。

「きっとあいつなりに思惑があるんだろうな。僕は君たちを咎めない。君たちもあの子を想って行動したんでしょ?」
「そ、そうニャ。アタシたちにできることはみんなにバレずに氷海へ送り出すことだからニャ」
「なんて開き直りニャー、恐ろしいニャー」
「ハリーヤ、何か言ったニャ?」
「ヒニャッ」

 ハリーヤを睨みつけるアイの姿は主のナレイアーナそっくりだ。エイドはオトモアイルーたちが何の目的で氷海へ向かったのか把握しかねているが、何か意図があってのことだと言うカゲの言葉を信じることにした。

「そのうち帰って来るだろうから、それまでワカの看病をしていなよ。僕らは周辺の調査をするからもう少し滞在するし」
「う、うん」

 前回は急遽開かれた宴に誘われ、今回はワカの看病やエールたちの失踪。辺境にある閑静な拠点にしては色々なことが起こりすぎてはないか、とエイドは戸惑いながら苦笑いを浮かべた。
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